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第228号   逆縁     令和3年1月1日発行
2021-01-28

いつだったか、ラジオを聞いていると、リスナーからの投稿句が読まれた。

「逆縁の墓に重たい手桶水」と言う句だったと思うが、その時に逆縁と言う言葉を知った。親よりも子供が先に亡くなること、と理解していたが、仏教ではもっと深い意味もあるようだ。

その逆縁と言う言葉がなぜか心に残っていたのは、そんな運命の予感だったのか。

令和二年の猛暑がやっと収まった頃、長女が五十一歳の生涯を閉じた。子宮に癌が見つかって二年半の闘病生活の末に。

「完治してお帰り頂きましょう」と言われた名医の言葉に安堵して、現代の医療を信じ切っていたのだが、現実は甘くはなかった。

薬草、キノコ等癌に効くと教えられたものは全て服用したのも、気休めでしかなかったのか。

娘には同い年の従姉がいた。母親の姉のひとり娘で子供の時から姉妹のように仲良くしていた。結婚する時もお互いに何かと話し合っていたようだが、なぜか二人とも子供に恵まれなかった。

従姉は主人の仕事の為に横浜に住んでいたが、娘が癌で入院したと聞いて、遥々丸亀の病院まで駆けつけてくれて「絶対に治る、絶対に直して」と励ましてくれた。

それから一年間、娘は週に一回抗癌剤の点滴を受けながら、傍目には病人の姿には全く見えず、週に二回は得意の料理を手作りして、大型乗用車を自ら運転して我が家に届けてくれていた。そんな穏やかな日々の中に突然、悲報が飛び込んできた。

横浜から見舞いに来てくれた従姉が乳癌に冒されて余命数カ月の宣告を受けたのだ。

自分で治すと言った従姉は最後まで医者を頼らずに頑張ったようだが、宣告通り半年で逝ってしまった。

その従姉は数年前に父親を亡くしていて母親だけが残された。母親にとって、これ以上の悲運はない。           

娘はその葬儀には参列したいと言っていたが、精神的ショックと自らの癌の進行も感じていたのか、参列は諦めた。

従姉の死は娘にはどんな思いであっただろうか。過酷だ。親としてその本心を聞きだす勇気はなかった。

それから又一年、楽しみの食欲を極度に自制しながら、治療を続けた甲斐なく、コロナ禍の中で、最終宣告を受ける。我々の常識では本人には内緒にして親たちに知らせてくれるものと思っていたが、なんと先に本人に告げられていた。死刑宣告である。

それでも娘は泣き言ひとつ言わず、最期まで気丈に笑顔を見せていた。

最期の日、酸素吸入に痛み止めの薬を吸いながら荒い荒い呼吸が続く。少しでも楽な息に戻るように願いながら、息の数を数える、一分間に三十八回、何度数えても同じであった。この時すでに医師、看護師には、後何時間の命と言うことは分かっていたのだろう。しかし、身内は最後まで奇跡を願う。その奇跡を願って、帰宅しようとする私に、苦しい息をしながら、微かに手を上げて笑顔を見せて送ってくれた。その三時間後に息を引き取った。

娘も、従姉も良き伴侶に恵まれて生涯の幸せは約束されていた。その幸せを癌と言う悪魔が奪ったが、私には、二人仲良く冥途の旅を楽しんでいる姿が見える。

 
 
第227号 あの歌に逢いたい 令和2年10月1発行
2021-01-28

地元の放送局で「あの歌に逢いたい」と言うラジオ番組がある。提供する信用金庫のお得意様をスタジオに招いて、思い出の歌を聞きながら、ほんのひととき寛いで頂く、と言う趣旨の番組である。月曜日の午後二時十分から三十分間

この度坂出の支店長様から依頼されて、七月二十日生放送でその番組に出演させて頂いたが、実は十五年前にも出させてもらっていた。それはついこの間のように思えるが二〇〇五年六月だから間違いなく十五年が過ぎている。当時は土曜日の午後一時半からであったが、内容は変わらず、懐かしい歌を聞かせてもらった。その十五年前の番組のお蔭で思いがけない楽しい出来事があった。リクエストした曲の中に神戸一郎が歌った「たそがれの御堂筋」と言う曲。当時そのレコードは、どこを探しても見つからなかった曲で、この機会に是非探して下さいとお願いをしていたら、なんとデレクターさんが放送局の廃棄処分予定の倉庫から探し出して来られて、感動の曲が流れた。「正に、あの歌に逢いたいですね」、とアナウンサーさん。その事を弊社のホームページに載せたら、なんと大阪の豊中市と遠く栃木市の熱心な神戸一郎フアンの方の目に留まって便りが届いた。その歌が入っているCDを教えてくれて驚いたことに、その方達は神戸一郎後援会の主要メンバーでもあられたようで、香川県にこんなフアンが居られると言うことを神戸一郎氏に直接話をされたようで、それは嬉しい、と非常に喜ばれて、神戸一郎氏のホームページから弊社のホームページにつながるようにして頂いた。スマホでも神戸一郎と入れて検索すると何番目かに、弊社の名前が出てくる。それが不思議でもあり、嬉しくもあった

残念ながら神戸一郎氏は六年前に七十六歳で亡くなられて、弊社のホームページも出て来なくなった。十数年が駆け足で過ぎた。   

その栃木の方に東京代々木上原にある古賀政男音楽博物館に神戸氏の資料が特別展示されている、と教えられて、東京出張時に訪れた。そこには古賀政男氏と親交のあった大勢の歌手の写真が飾られている中に、色褪せたジャケットの「たそがれの御堂筋」のレコードもあった。

 今回の放送は平日の月曜日。本番前に打ち合わせがあるものと余裕を持って局に行ったが、スタジオ前の控室に案内されて、放送中の姿を遠くから眺めるだけで一向に打ち合わせが始まる気配がない。担当のアナウンサーがコマーシャルの僅かな時間にスタジオから出て来られて名刺を交換しただけで、本番の二~三分前にいきなりどうぞとスタジオに入る。事前に希望曲は届けてはあったが、どう展開するのか一瞬戸惑う。しかしそこは慣れたアナウンサー、巧みに話しかけてくれる。

 選んだ四曲は、「幸せはどこに」これは思春期の苦い思い出。「夕日」は福山市にある作詞家の葛原しげる氏の記念館のことを。「喜びも悲しみも幾年月」の作曲家木下忠司氏は、母校の坂出工業高校の校歌の作者であること「抱擁」は娘の結婚式でピアノの弾き歌いを初体験したこと等の思い出を話す。偶々聞いていてくれた知人から「なんと古い歌を」と言われてしまったが、平日の午後にもかかわらず沢山の人が聞いていてくれたようだ。 

この番組が、懐かしい思い出の糧として、心の癒しとして長く続くことをながっている。             

  
 
第226号  花粉症   令和2年7月1日 発行
2021-01-28

早春の頃、芝生の庭には雑草が先に芽を出す。この草を抜いておかないと惨めな雑草の庭になってしまう。腰を据えて一本一本抜いて行く。この季節の休日の欠かせない作業だ.今年は暖冬だったが、まだ風が冷たかった性か、涙が出て草が見えなくなる。この涙が花粉症の涙とは知る由もない。

もう半世紀にもなるだろうか。我が家の裏の庭に杉の木があった。高さは背丈ほどであったが、幹は腕よりも太くなっていた。大事に育てようとは思っていたのだが、誰かが無造作に切ったのか、どう見ても樹形が悪い。

 思い切って伐採する、その時期が調度花粉が飛び出すタイミングで、鋸を入れた途端に揺れた枝からもうもうと煙のように花粉が舞い上がる。この光景はなぜか脳裏に残っている。その時にすでに花粉症と言う言葉があったのかは知らないが、後年、その言葉を聞く度に私には関係のない言葉と思い込んでいた。

舞い上がった花粉に何の反応も出なかった我が身に花粉症には成り得ないと確信していた

町の体協のクラブで卓球の練習をしたり、一見健康体に見える我が身だが、部分的には欠陥だらけで耳鳴り、鼻詰まり、霞み目に高血圧、挙句に前立腺肥大、これでよく生きていられると思うのだが、発達した医学に生かされている。

毎朝飲む錠剤が十錠、それを忙しい朝に簡単に飲めるように、曜日毎に仕分けしてお薬ケースに入れるのが土曜日の朝の仕事。歳とともに一週間が早いと感じながら、この作業も楽しくなってくる。家内に薬が喧嘩しないのか、と笑われるが、お医者さんが症状に合わせて選んでくれたもので信頼して服用している。

それにしてもテレビの健康サプリメントの宣伝は凄ましい。以前は思い当たる症状に、つい釣られて買ってしまったが、宣伝通りの効果は全くない。そうと知りつつ巧みな話術に乗せられて、購入した金額はイクラになるのか、計算するのも恐ろしいが、製薬会社に貢献したと思えば諦めもつくか。敢えて言えば、横行する誇大宣伝に規制がかからないのが不思議だ。

同業者の社長さんで毎年春になると花粉症で苦しんでおられて方がいて、会合に来られても苦しそうな表情をされていた。その社長さんにヨーグルトが良い、とか、あの食品が効くとか、経験者がアドバイスをされていたが、私には全く無縁の話と聞き流していた。

三月の中旬、鼻詰まりがひどくて眠れない夜が何日か続いていたある日、散髪に行って顔を剃ってくれていた理容師さんと、鼻詰まりの話をしていたら「それ花粉症でしょう」と言われる。まさかと思ったが続けて、充血している目を見て間違いない、と念を押された。無縁と思っていた花粉症がいつの間にか我が身に忍び込んでいた。八十路を前に体力が衰えたとは思いたくないが、何らかの変化があったのは間違いなさそうだ。

早速掛かりつけ医に行って診てもらうと、翌日には嘘のように楽になる。思い込みに、とんだ苦しみを体験したが、自らの体には常に素直に向き合っていかなくてはならない。

 
第225号  夕 日     令和2年4月1日発行
2020-05-20
「ぎんぎんぎらぎら夕日が沈む
 ぎんぎんぎらぎら日がしずむ」
葛原しげるが作詞した時は 
「きんきんきらきら」であったが、小学二年生の長女に夕日は「ぎんぎんぎらぎら」でしょう、と言われて変更されたそうだ。
 テレビ番組「子供たちに伝えたい美しい日本のうた」で紹介されていた。葛原家から美しい瀬戸内海に沈む夕日を見て作られたと、テレビでは放映されていたと思ったが、訪れてみると福山市の西方の山間に葛原しげるの生家はあった。
 広島県安那郡八尋村(現・福山市神辺町八尋)
 福山には大手電機メーカーの工場があってそこに同級生が勤めていた。羨ましい存在であったし、四国からは遠い所に感じていた。
 場所を車のナビに入れてみるとなんと瀬戸大橋経由で我が家から一時間ほどで行けるではないか。早速尋ねる。
 葛原しげるの生家は一時空き家になっていて荒れていたようだが、二〇〇五年福山市へ寄付されてそれを機に「葛原文化保存会」を設立して現在は様々な活動をされている。
 テレビで童謡「夕日」を作詞した人として知っただけであったが、訪れてみると偉大な功績を残された教育者であった。庄屋の生まれで祖父の名は葛原勾当、幼名は柳三から何度か改め、一泉に。勾当は筝曲の位で、生田流筝曲の師であった。その生涯は壮絶で三歳の時に天然痘を患い失明、九歳から琴と三味線を習って十一歳の時に京都の生田流松野勾当に師事して、十五歳で帰郷。筝曲の教授で生計を立てる。文化遺産になっている現在の葛原邸はこの盲目の祖父が設計して一八四五年に建築された。そして二十六歳から自ら考案した木活字で捺字した備忘録は七十一歳で亡くなるまで続けられて現存している。この木活字は来日したヘレン・ケラー女史も、東洋のタイプライターと称して激賞された。
 その孫であるしげるは父、二郎の次男として生まれる。長男は戦死されたようで、後に「兄の戦死」と題して、女性向け教養雑誌「女性世界」に投稿している。その賞金三十円でヤマハのオルガンを買って妹さんに送られた。そのオルガンも葛原邸にあって現役で演奏できる。
一八八六年生まれのしげるは一九〇八年に東京高等師範学校(東京教育大学)(現・筑波大学)を卒業して九段精華訓導等で教壇に立ちながら「少年世界」等の編集に携わり自らも童謡を発表されていた。  
一九四五年、勤務していた九段精華が戦火で焼失、廃校となり一旦帰郷される。そこで請われて東京への復帰を断念して、新設の私立至誠高等女学校(現・県立戸手高等学校)の校長に就任され「いつもニコニコピンピン」をモットーに、郷土の教育に尽力される。
一九六〇年に勇退されて再び上京されて文京区の旧宅に住まわれたが、翌年母校の東京教育大学の構内で倒れて亡くなられた。
「夕日」の他に「村祭り」など作詞した童謡は四千篇とも言われ、依頼されて全国各地四百五十校もの校歌を手がけられている。
お名前は聞き忘れたが保存会の中心的な女性の方から館内を熱心に案内され、葛原文化の確かな継承が印象に残る。入口にある歌碑の前に立つと夕日の歌が流れる。それを聞きながら葛原邸を後にした。
 
第224号 アメリカ雑感 令和2年1月1日発行
2020-01-14
 
 世界に誇る大都会、ラスベガス、ロサンゼルスでネクタイ姿を全く見かけなかった。これがアメリカ社会の常識なのか。
 確かに娯楽、享楽の町だが、暑いとは言え、女性は水着姿に見まがうほど肌を出し、男性はティシャツに半パン姿で豪華ホテルに入って行く。
 礼節正しい?私の眼には異様な感じに見えるのだが、これが豊かさの象徴なのか。
 五十年近く前になるが、初めての海外旅行は、お得意様を招待しての香港、マカオであったが、その時の写真を改めて見る。全員スーツにネクタイ姿である。半世紀が過ぎて世界旅行も随分気軽にラフな姿で行けるようになった。
 某銀行のツアーでラスベガス、ロサンゼルス旅行に参加する。本音は余り気乗りのしない旅であった。数年前にナイヤガラの滝を訪れる時に経由したサンフランシスコでスーツケースの鍵を検査の為に壊させていた。鍵はかけないでおくように聞いてはいたが、習慣でつい掛けていたのだろう、見事に壊されて蓋が閉まらなくなっている。幸いベルトを掛けていたので事なきを得たが、そんなアメリカには二度と行かない、と心に決めていたのだが、残り少ない人生、行ける時に行っておこうと思い直して出掛ける。
 サンフランシスコで入国手続きをして、国内線でラスベガスに向かう。眼下に荒涼とした風景が広がる。砂漠と言うより硬い岩が波打っているように見える。
 やがて視界に建物が見えてくる。確かに周りを山に囲まれた盆地の中の街だ。
砂漠の中に人工的に造られた街「ラスベガス」の認識であったが、何もないところに計画して造られたのではないようだ。 
一八四八年頃、カルフォルニアの金を求めて南から殺到する人たちが途中で休憩した場所。窪地に水のあったオワシスが現在のラスベガスらしい。そのゴールドラッシュが過ぎて、一九三一年、世界大恐慌の時代に「ニューディール政策」の一環とも言われるコロラド川にダム建設が始まる。フーバーダムと名付けられたその規模は日本の黒部ダムのなんと十倍。ラスベガスの近くのそのダム建設に人が集まってくる。ダム建設開始と同じ年に賭博が合法化されていた。
ラスベガスからグランドキャニオンに行く20人乗りのセスナ機は、フーバーダムの上空を通って行くが、雄大な景色のジオラマだ
 ダム湖はミード湖と言われその貯水量は琵琶湖の二倍近くになる。そこで発電された電気はラスベガスをはじめ、カルフォルニア州アリゾナ州にも送られている。巨大な再生可能なエネルギーだ
深さ1600メートル、幅16キロメートルのグランドキャニオンの渓谷は、その長さは450キロメートル近くにも及ぶ。息をのむ景色だ。
 ロサンゼルスで初めてネクタイ姿の老人に会う。ツアーガイドのおじさんだ。日本人で商社マンから退職されて日本人の案内役をされている。ガイドの高齢化も日本と変わりないようだ。このおじさんも翌日にはティシャツのラフな姿でハリウッドを案内してくれる。
 ロサンゼルスの飛行場。一機何十億円の自家用ジェット機が並ぶ。その近くの歩道に粗末なテントが並んでいる。ホームレスの住まいだ。人間の能力の差はどこまで広がるのか。
 

第191号  灰になるために生まれてきたんじゃない

第191号  灰になるために生まれてきたんじゃない
 
灰になるために生まれてきたんじゃない

出来たばかりのコンクリート舗装の路上に白い大きな犬の死体が横たわっていた。

開通間もない国道十一号。現在は県道三十三号になっているが、私が高校に通っている三年間に工事が進められて、出来上がった真新しい路面に無残な姿があった。最近では路上に死んでいる犬猫を見るのは珍しくもなくなったが、半世紀も前の光景が強烈に脳裏に残っている。今も通勤時に通る道である。

悲惨な交通事故死は人間も同様で悲しむべきことであるが、その犬猫の命が不慮の死ではなく、まるで売れ残ったコンビニの弁当のように処分されていると聞くと人間のおぞましさに恐怖感を覚える。

それは連日報道される幼児虐待、いじめ、陰惨な殺人事件等殺伐とした世相に現れているようにも思える。

知人が「小さな命の写真展」として、保険所等で殺処分される前の犬猫の表情を写した写真展を常盤街商店街、ホームセンター、駅構内、市役所等々で開催している。

この命、灰になるために生まれてきたんじゃない。全国で一日に約一千頭の犬猫が二酸化炭素に依って殺処分されている。香川県は人口当たりの殺処分数は全国ワースト五位だそうだ。その費用は全国で二十四億円と聞くこれ全て税金で賄われている。

人の癒しの為に、命の尊さを共有する筈のペットが心ない一部の人と思いたいが、無責任に捨てられ殺される。

写真展の会場で売られていた児童書のノンフィクション作家、今西乃子著「犬たちを送る日」の冒頭の部分を要約して紹介したい。

一九七八年、野犬の撲滅対策として、ある県での犬の買い上げ制度を設けたときのことである。

犬を保険所に持ち込んだ県民には一頭五百円の報酬を出す。

そこに小学生三人が七匹の子犬を持ち込んだ。

「すみません、これ買うてくれるんですか?」

「これ?どうしたいん?」

「犬、一匹ここに持ってくれば、五百円くれるって聞いたけん。七匹で三千五百円やけんね。お金くれん?」

当時の三千五百円といえば、かなりの高額である。

「そのお金、何につかうんや?」

「プラモデルじゃけん!欲しいプラモデルがあるで、それ買いたいんや!はようお金ください」

「君らが連れてきた子犬、ここに来てどうなるか知っとるか?」

「・・・?」

「あのな、ここに連れてこられた犬は、みんなあと数日で殺されてしまうんや。この子犬もそうじゃけん。みんな殺されてしまうんやで。それでもええんか?」

「かまわんけん!はようお金ください!はよう行かんと、プラモデルやさん、閉まってしまうけん」

 親が教えたのだ。

「そんなに小遣いがほしかったら、野良犬の子犬を見つけて保険所へ持って行け」と。 

 命を金に換え、そのお金で自分たちの欲しいものを手に入れようとする少年達、それを容認する大人達がたまらなく悲しく思えた。

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