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第224号 アメリカ雑感 令和2年1月1日発行
2020-01-14
 
 世界に誇る大都会、ラスベガス、ロサンゼルスでネクタイ姿を全く見かけなかった。これがアメリカ社会の常識なのか。
 確かに娯楽、享楽の町だが、暑いとは言え、女性は水着姿に見まがうほど肌を出し、男性はティシャツに半パン姿で豪華ホテルに入って行く。
 礼節正しい?私の眼には異様な感じに見えるのだが、これが豊かさの象徴なのか。
 五十年近く前になるが、初めての海外旅行は、お得意様を招待しての香港、マカオであったが、その時の写真を改めて見る。全員スーツにネクタイ姿である。半世紀が過ぎて世界旅行も随分気軽にラフな姿で行けるようになった。
 某銀行のツアーでラスベガス、ロサンゼルス旅行に参加する。本音は余り気乗りのしない旅であった。数年前にナイヤガラの滝を訪れる時に経由したサンフランシスコでスーツケースの鍵を検査の為に壊させていた。鍵はかけないでおくように聞いてはいたが、習慣でつい掛けていたのだろう、見事に壊されて蓋が閉まらなくなっている。幸いベルトを掛けていたので事なきを得たが、そんなアメリカには二度と行かない、と心に決めていたのだが、残り少ない人生、行ける時に行っておこうと思い直して出掛ける。
 サンフランシスコで入国手続きをして、国内線でラスベガスに向かう。眼下に荒涼とした風景が広がる。砂漠と言うより硬い岩が波打っているように見える。
 やがて視界に建物が見えてくる。確かに周りを山に囲まれた盆地の中の街だ。
砂漠の中に人工的に造られた街「ラスベガス」の認識であったが、何もないところに計画して造られたのではないようだ。 
一八四八年頃、カルフォルニアの金を求めて南から殺到する人たちが途中で休憩した場所。窪地に水のあったオワシスが現在のラスベガスらしい。そのゴールドラッシュが過ぎて、一九三一年、世界大恐慌の時代に「ニューディール政策」の一環とも言われるコロラド川にダム建設が始まる。フーバーダムと名付けられたその規模は日本の黒部ダムのなんと十倍。ラスベガスの近くのそのダム建設に人が集まってくる。ダム建設開始と同じ年に賭博が合法化されていた。
ラスベガスからグランドキャニオンに行く20人乗りのセスナ機は、フーバーダムの上空を通って行くが、雄大な景色のジオラマだ
 ダム湖はミード湖と言われその貯水量は琵琶湖の二倍近くになる。そこで発電された電気はラスベガスをはじめ、カルフォルニア州アリゾナ州にも送られている。巨大な再生可能なエネルギーだ
深さ1600メートル、幅16キロメートルのグランドキャニオンの渓谷は、その長さは450キロメートル近くにも及ぶ。息をのむ景色だ。
 ロサンゼルスで初めてネクタイ姿の老人に会う。ツアーガイドのおじさんだ。日本人で商社マンから退職されて日本人の案内役をされている。ガイドの高齢化も日本と変わりないようだ。このおじさんも翌日にはティシャツのラフな姿でハリウッドを案内してくれる。
 ロサンゼルスの飛行場。一機何十億円の自家用ジェット機が並ぶ。その近くの歩道に粗末なテントが並んでいる。ホームレスの住まいだ。人間の能力の差はどこまで広がるのか。
 
第223号 偉人を偲ぶ旅    令和元年10月1日発行
2020-01-14
 
 今年の初夏に三十年振りに黒部ダムを訪れた。今回で四度目だが、昨年、長男を亡くした姉の慰安もあって同行した。
 石原裕次郎主演の「黒部の太陽」で、一躍有名になったアルペンルートだが、その巨大なダムの陰で忘れてはならない人がいる。
 堰堤にあるダム建設時に犠牲になられた
171名の慰霊の碑は訪れる人に畏敬と哀悼の念を抱かせるのは当然のことだが、もう一人この人がいなくては黒四ダムは存在しなかった。それは「太田垣士郎氏」
 その人の記念碑は、アルペンルートの観光客には目の届かない地下の黒部第四発電所内に設置されている。
 碑には「経営者は十割の自信を持って取りかかる事業、そんなものは仕事の内に入らない、七割成功の見通しがあるなら勇断をもって実行する、それでなければ事業はやれるものではない、黒部は是非とも開発しなけりゃならん山だ」と刻まれている。
 経済発展の為には電力は必要不可欠、関西の発展を思う時、すでに大正時代からその構想はあった黒部の開発、それを実行実現させたのがこの人である。
 当時、大阪は深刻な電力不足で慢性的な停電が社会問題になっていた。その打開策として決断される。
 北陸地方にあってなぜ関西電力なのか。
 「北陸電力より関西電力の方が力があったからでしょう」とガイドさん。
 確かにそうかも知れないが、もし太田垣士郎氏が北陸電力の社長であったら、黒四は北陸電力であった、と考えるのは私だけか。
 十河信二と言う人がいなかったら日本の新幹線は走っていなかったのと同じように太田垣士郎氏がいなかったら黒部ダムは建設されていなかった。
 ふと子供の頃に聞いた残念な話を思い出す。
「私が日本に居たなら、高松から坂出を防波堤で結んで大港湾都市にしていただろう」
 陶村出身の「松本虎太氏」の言葉だ。
 松本氏は一九二〇年代に台湾土木局基隆出張所時代に大岸壁大船梁の築造に貢献、後に満鉄の総裁も務められたと聞いている。 
 戦後、帰郷され、村長に就任されて、四村を合併して我が綾南町(現綾川町)を誕生させた。町村合併の先駆けであった。
 田舎に居ながらも、当時の吉田茂首相に
「吉田君」と言って会いに行かれていたそうだ。
 子供の私には高松と坂出は遠く離れた町と感じていたから想像も出来なかったが、今、瀬戸大橋から東を眺めると、大槌、小槌島の向こうが高松だ。自然破壊の問題はあるだろうが、現在の閉塞感の漂う四国の経済を考えると港湾都市香川が実現していたら! と思わざるを得ない。
 そうすれば、五色台から眺める風景が現在とは一変して、足元の港にコンテナが並ぶ、活気ある風景が広がっていたであろう。
そんなことを想像していると、大町の扇沢を出発した電気バスは黒部ダム駅に着く。
220段の階段を上がってダムの右岸の展望台に出る。北アルプスの大パノラマ、眼下に黒部ダムの雄姿を堪能する。そこからロープウエイ、トロリーバスを乗り継いで室堂へ。雪の大谷はまだ10メートル近くの雪の壁が残っている。それをバックに写真に納まる。
私は偉人を偲び、姉は大自然に心癒される旅であった。
 
第222号  振り返って思い願うこと  令和元年7月1日発行
2019-09-10
 
 大阪から帰郷し家を新築して五十年。半世紀が過ぎた。その間に何度も増改築を重ねてささやかな憧れを実現してきた。
 当時は田んぼの真ん中の一軒家で、車も入れなかった土地であったが、近所の人の畑の持ち主のご厚意でやっと普通車が通れる道を確保して頂いた。屋敷内に車を乗り入れた時の感動は忘れられない。夢実現の始まりであった。
 家は母親の俳句仲間の棟梁にお願いして、無理な要求にも対処して頂き、格安に丁寧に建築をしてもらって感謝、感謝である。
 余裕の金もないのに、家の周りに石垣を築いて玉柘植を植える。そして泉水を造って錦鯉を泳がせた。振り返れば分不相応なことをしたとの反省は残るが、幼い頃の憧れがそうさせたのだろう。
 後年、泉水は家相上良くないと教えられて水を抜き現在は枯山水にして形はそのまま留めている。
 家の玄関前、石垣の脇に、親指程の太さで一メートル足らずのソメイヨシノの苗を、当時はそれほど意識をしていたわけではないが芝生の上で花見が出来れば楽しいだろうと植えたのだが、半世紀経ってこの桜は我が家のシンボル的存在になっている。この遍路宿の第一四六号で紹介した社員の初花見からやがて二十年、二十名足らずで始めた花見も年々参加者が増えて今年は四十数名にもなって賑やかな宴になった。
 ソメイヨシノの寿命が六十年と言われているので、その最期を見届けるのは私か、それとも桜が私を看取ってくれるのか。どうも桜に看取られて逝くような気がしている。
 今までこうして夢、憧れを少しずつ自分の手で実現してきたようにも思われるが、どんなに願い、努力しても実現出来ない事柄もある。
 畑の持ち主のご厚意で進入路は出来たが、それは屋敷の戌亥の方角に繋がっている。
 家相上では玄関は辰巳の方角が吉とされている。当時の我が家の南東方向は広々とした田んぼが広がっていて農家の大切な稲田である。これは願っても努力しても東から侵入する道が出来る可能性は全くなかった。
 ところが、その稲田を横切って国道三十二号線から高松空港へ行くバイパス道が造られた。田んぼを挟んで百メートルほど先に道路が通る。しかし、田んぼは依然としてある。
 端の方で車が通れるだけでも分けてもらえないか、願ったが、当時は農家の稲田に対する執着は強かった。やはり不可能か。
 ところがその田んぼの旧家と言われていた地主さんの息子さんに何があったのか。土地家屋のすべてを手離された。
 そこでなんと稲田が分譲地として売り出されることになる。我が家まで道が出来るのだ
 隣接の一区画を購入して、東からの侵入が可能になる。念ずれば通じる。不可能と思っていたことが、可能になった。
 早速家の東側、辰巳の方角に玄関を増築して、西の元の玄関は封鎖して、家相上の不安を無くする。
 買った一区画の土地に息子一家が、家を建てて我が家とはウッドデッキで繋がっている
 中学生になった孫二人が毎朝ウッドデッキから渡って来て我が家の勝手口から「行ってきます」と学校に行く。至福の瞬間である。
やはり夢実現には先ず思い、願うことだ。
 
  第221号   甥       平成31年4月1日発行
2019-04-12
 昨年、紅葉が始まる頃、姉の長男が六十才の人生を閉じた。平均年齢には遠く及ばないが、良くぞここまで生きられた、と思う。
 三十才で腎臓を患いそれから透析生活が始まった。人生の半分を病院通いで生きてきた
 二十歳代に何があったのか、知る由もないが、不摂生が原因であることは本人も認めていたようだ。
 直島で精錬所に勤める父の家庭で小、中学校では、弟と共に運動会の花形であった。体格にも恵まれて、野球部で活躍、高松の高校に入って甲子園への夢もあった。
 一年生の時には我が家から通っていたが、練習で夜遅くなるので、学校近くの寮に入って練習に励んだ。
 残念ながら甲子園には一歩及ばなかったが充実した高校生活を送っている姿は頼もしく見えた。
 東京の大学に入ってからは、野球は断念したのか、野球の話は聞かなくなった。因みに今年巨人の監督に復帰した原辰徳氏は同じ歳である。
 野球の練習から解放されて、大学生活の四年間は青春時代を謳歌していたようだ。
 就職は、その甥が生まれたころに誕生したスーパーマーケットが、当時益々隆盛の兆しがあって、金儲けはこの流通業界だと判断したのだろう。サラリーマンの家庭で育って金持ちになりたいと思うのは誰しも同じだが、残念なことに商才のDNAは、父方にも母方にも全くない。それが人生の分かれ道であったか。
 肌に合わない仕事の毎日、つい父親譲りの酒に溺れた。
 奇しくも六十才で定年退職した父が、当時、横浜に居た息子の様子を見に夫婦で訪れたが、そこでなんと父親が心筋梗塞で急逝する。
退職後、倉敷に家を新築して直島から移り住んで僅か三ケ月で帰らぬ人になった。その   父親の初盆に帰省していた甥は、そこで急性腎不全を発症してそのまま入院、透析生活が始まる。何度か危機的状態に陥ったこともあったようだが、なんとか父親と同じ六十年の生涯を終えた。
 体調の良さそうな時を選んで一泊の旅行に何度か誘って一緒に行った。
富士五湖を巡った日は秋の晴天に恵まれて富士山と湖を背景に颯爽とした姿が残っている。又後日、箱根では大学駅伝の往路ゴール地点にある母校の校旗の横で、ほほ笑んでいる姿は病人には見えない。寡黙な甥は喜怒哀楽もあまり表には出さなかったが、この小旅行は楽しみにしていたようだ。
 半世紀前、直島の社宅で小学生の兄弟が仲良く、殊に二つ違いの弟が兄ちゃん、兄ちゃんと慕う姿が、脳裏に焼き付いているが、猛暑であった昨夏、医師からこの夏が越せるかどうか、宣告された兄を、自衛隊を定年退職した弟が、浜松の家族を残して倉敷の実家で兄の面倒を看ていた。本来なら兄弟家族が揃って明るい団欒での場であったはずだが。
 倉敷での葬儀には高校のチームメイトが遠くから大勢参列してくれて、四十年以上も経って、その友情に、姉は感激と感謝の涙を流していた。
 そして「亡くなってこれでよかったのだ、楽になれただろう、と自分に言い聞かせてはいるが、やはり生きていてほしかった」と。逆縁の運命は悲しい。
 
第220号   スポーツ    平成31年1月1日発行
2019-03-04
           
 昨年(平成三十年)は日本のスポーツ界で不祥事が続いた。スポーツと言う爽やかな響きの言葉が汚された思いで誠に残念だが、試合となるとやはり勝ち負けが最優先するようになるのか。
 「ルールを遵守して競技を楽しみ、公正なプレーを尊重して、相手の選手に対する尊敬や賞賛、同じスポーツの仲間としての意識をもって行われる活動である」とスポーツマンシップの精神として書かれている。
 日大のアメフトに始まって、日本レスリング協会、日本ボクシング連盟、日本体操協会女子のパラハラと次々に世間を騒がせた。
 これらは偶々起こった出来事ではなくて、長年潜んでいた事柄が、何かの切っ掛けで一気に表に出て来ただけのことのようだ。 
 長年いろんなスポーツを楽しんで来たが、スポーツマンシップと言う言葉を特に意識したことはなかった。当たり前に練習をして試合に勝ったり負けたりで努力の成果を楽しんで来た。
 中学生時代に「お前はバレーボールで飯が食える」と担当の先生から言われていたが、自分でもそれなりの技術はあると自負していた。反面、勝負の世界で生きられる性格ではないとも自覚していた。それは、昨年起きたスポーツ界の不祥事の雰囲気を中学生で、すでに感じていたのだろう。
 当時バレーボールで全国的に名の知れた強豪高校が坂出にあった。そこで打ち込んでいたら私のバレーボール人生が開けていたかも知れない。がしかし噂の話ではあるが、隣村の中学校の強敵校のエースアタッカーが、その高校に入って、婦女暴行事件を起こして退学処分になった。そのチームで仲間になっていたなら、同じ罪を犯さないと言う保証はない。勝負師が悪い奴だとは言わないが、その奥に強すぎる我が潜んでいるのも又確かだろう。
 甲子園の高校野球にケチをつける気持ちは全くないが、名門と言われた学校が、不良行為で野球部廃部になったところもある。多かれ少なかれ高校野球チームにはそんな要素が潜んでいるのではないか。
 なかには愛媛県西条市の悪餓鬼のボスが、後にプロ野球界一の紳士と言われ、名投手、名監督にもなられた方もおられる。             
 問題になった各界の会長、監督、コーチも強い性格であるのだろうが、そのまま大人になってしまって、紳士になり得なかったのか。
 最近高校野球で選手の自主性を重んじてチーム造りを始めた高校が好成績を残すようになってきた。箱根駅伝で有名になった大学も同じように監督が紳士然である。
 強権を持って厳しく叱咤することが、強靭な選手を育てる手法であるとほとんどの指導者が信じているのだろう。さらに厳しく言えばスポーツの陰に隠れて多少の不良行為が許されてきた風潮があるのかも知れない。
 健全な精神は健全な身体に宿るのか。健全な身体は健全な精神が育むのか。後者だと思うが、折角の運動神経も精神が弱くては育たない。不祥事を機会に叱咤罵声から、褒めて励ます指導方法に改革されれば、選手層もさらに厚くなるのではないか。優れた運動神経がありながら、それを伸ばしきれなかった若者が大勢いると思う。その若者たちが、安心して打ち込める明るい環境が整えば日本のスポーツ界はもっと強くなっていくだろう。
       
 

第191号  灰になるために生まれてきたんじゃない

第191号  灰になるために生まれてきたんじゃない
 
灰になるために生まれてきたんじゃない

出来たばかりのコンクリート舗装の路上に白い大きな犬の死体が横たわっていた。

開通間もない国道十一号。現在は県道三十三号になっているが、私が高校に通っている三年間に工事が進められて、出来上がった真新しい路面に無残な姿があった。最近では路上に死んでいる犬猫を見るのは珍しくもなくなったが、半世紀も前の光景が強烈に脳裏に残っている。今も通勤時に通る道である。

悲惨な交通事故死は人間も同様で悲しむべきことであるが、その犬猫の命が不慮の死ではなく、まるで売れ残ったコンビニの弁当のように処分されていると聞くと人間のおぞましさに恐怖感を覚える。

それは連日報道される幼児虐待、いじめ、陰惨な殺人事件等殺伐とした世相に現れているようにも思える。

知人が「小さな命の写真展」として、保険所等で殺処分される前の犬猫の表情を写した写真展を常盤街商店街、ホームセンター、駅構内、市役所等々で開催している。

この命、灰になるために生まれてきたんじゃない。全国で一日に約一千頭の犬猫が二酸化炭素に依って殺処分されている。香川県は人口当たりの殺処分数は全国ワースト五位だそうだ。その費用は全国で二十四億円と聞くこれ全て税金で賄われている。

人の癒しの為に、命の尊さを共有する筈のペットが心ない一部の人と思いたいが、無責任に捨てられ殺される。

写真展の会場で売られていた児童書のノンフィクション作家、今西乃子著「犬たちを送る日」の冒頭の部分を要約して紹介したい。

一九七八年、野犬の撲滅対策として、ある県での犬の買い上げ制度を設けたときのことである。

犬を保険所に持ち込んだ県民には一頭五百円の報酬を出す。

そこに小学生三人が七匹の子犬を持ち込んだ。

「すみません、これ買うてくれるんですか?」

「これ?どうしたいん?」

「犬、一匹ここに持ってくれば、五百円くれるって聞いたけん。七匹で三千五百円やけんね。お金くれん?」

当時の三千五百円といえば、かなりの高額である。

「そのお金、何につかうんや?」

「プラモデルじゃけん!欲しいプラモデルがあるで、それ買いたいんや!はようお金ください」

「君らが連れてきた子犬、ここに来てどうなるか知っとるか?」

「・・・?」

「あのな、ここに連れてこられた犬は、みんなあと数日で殺されてしまうんや。この子犬もそうじゃけん。みんな殺されてしまうんやで。それでもええんか?」

「かまわんけん!はようお金ください!はよう行かんと、プラモデルやさん、閉まってしまうけん」

 親が教えたのだ。

「そんなに小遣いがほしかったら、野良犬の子犬を見つけて保険所へ持って行け」と。 

 命を金に換え、そのお金で自分たちの欲しいものを手に入れようとする少年達、それを容認する大人達がたまらなく悲しく思えた。

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