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第182号 旅
2009-07-01
  「四国電設資材のお客様、どうぞ、こちらでございます」

  夕食場所へ向う私に近寄ってきた女将さんにそう言われて驚いた。咄嗟に聞いてみた。「どうして私の団体名が分かるのですか」

  女将さんはさも当然のように、

  「先ほど玄関でお迎えさせて頂きました」

  団体客は我々だけではないし、宿泊客は三百人を超えている。

  「お客さんの顔を全て覚えておられるのですか?」

  「ほぼ、ね」と笑っていた。

  これも女将としての必要な能力なのか。顔覚え(いや全ての記憶)の悪い私には驚異に思えた。

組合の親睦を兼ねた研修旅行で新潟県の月岡温泉に泊まった時のことである。

  仕事上、仕入れ先、銀行等訪ねてくれる人は多いのだが、顔と名前が一致しない時がしばしばある、覚える気がないらしい。

  ある銀行の担当者としばらく話して帰られた後で

  「今のは、どこの銀行?」と社員に聞いて失笑をかっている。

  誠にお恥ずかしい限りだが、それでもまだ老人の痴呆症の意識はない。若い時から変わっていないのだ。

  北海道から沖縄まで、日本列島の地図を見て、まだ足を入れていない県がひとつだけあった。新潟県である。以前に佐渡島に行く計画もしてみたのだが、タライ船以外になにもないと言われて、断念していた。

  日本電設資材卸業協同組合香川支部と言う長ったらしい名前の団体で、毎年恒例行事で親睦を兼ねて視察旅行をしている。

  今年はそんなことで私が提案をして某メーカーの新潟工場の視察に決めたのだが、その後どこに行くか、お世話を頂いた支部長さんは苦労されたようで、坂東さんが新潟だけ行かれてないのがよく分かった。と変に納得されていた。

  新潟県北部の月岡温泉に泊まって、あくる日は早々に新潟を離れて山形県の会津磐梯山方面を巡る。

  それでも「これで全県制覇」と相成る。それがどうした、と言う程度のものかも知れないが、旅は楽しい。

  因みに今までの旅行で味わった私なりの三大美味を紹介しておこう。

  第一は「千里浜のはまぐりの浜焼き」社員旅行で行ったのだが、浜辺にバスを乗り入れて、広い葦簀(よしず)張りの部屋で網焼き。自分で焼いて食べたのだが、全員が何杯も追加注文をした。忘れられない味であったが、近年訪れる機会があって期待をして行ってみたが、片隅に僅かに小屋があって細々と営業をしていた。おばちゃんが焼いてくれる、はまぐりは残念ながら記憶にある味と同じものとは思えなかった。

  第二は「伊東温泉の朝食の味噌汁」一口飲んだ途端に伊勢海老の旨味が口一杯に広がる。

  第三は「宮崎市の料亭の刺身」メーカーの部長さんに個人的に招待されたのだが、口に入れると私好みの甘さが舌に沁みる。

  「この刺身は旨い、どんな細工をされているのですか」と尋ねると

  「さすがにお口が肥えていらっしゃる」とだけ言って子細は教えてくれなかった。当然のことだろう。
 
第180号 西条柿
2009-04-01
  屋敷の南西の角に西条柿がある。私が子供の頃にすでに大きな木であったと記憶にあるから樹齢は百年以上であることは間違いない。一世紀を超えて屋敷を見守ってきた老木だ。

  屋敷は時代とともに劇的に変貌したが、毎年春に芽を吹き枝を伸ばして実を生らせ、葉を落として冬を過ごす。同じことを繰り返してきた。このもの言わぬ木に百年の感想を聞いてみたくなる。

  今年はこの老木にそんなに活力があるのかと思えるほどの実をつけた。毎年夏になると蔕虫に食われた直径二~三センチの実が無数に落ちてくるのだが、さすがの虫も平成二十年の記録的な猛暑には勝てなかったとみえて、落ちた実は見当たらなかった。

  十月の半ばの三連休に、少し早いようにも思えたが収穫をする。

  老木はそれなりに伸びて天辺の実は二階の屋根より高いところにある。十二尺の三脚に上がって高枝鋏を一杯に伸ばしても届かない実が何個かある。それは鳥の為にと残しておいたが、二~三日後にはすでになくなっていた。もう少し鳥の分け前を残した方が良かったかと、取れなかった分しか残さなかったいじましさが情けなく、鳥に申し訳ない気持ちになる。

  皮を剥いて、熱湯に十秒間ほど浸して一個ずつ吊るす。これが結構手間がかかる。吊り終えて数えてみたら、なんと四百八十二個。

  昨年は八十個。一昨年は二百二十個。果樹には生り年と裏年があるようだがその生り年の二倍以上だ。

  長年、渋柿はどうしようもないと放っておいたのだが、三年前に教えてくれる人がいて試してみると、市販されているのより格段に美味しい。もっとも柿は子供の頃に食べ過ぎた感があって、久しく食べなかった。

  木に登って皮も剥かずに一度に何個食べていたのか、秋の唯一のおやつであった。自然豊かな長閑な風景も、私には貧しさを思い出させる光景である。それが原因かどうか、いつの間にか柿嫌いになっていた。

  それが老いて(それほどの年でもないが)

  高血圧に良いと言われて、富有柿は近年食べるようになった。

  我が家に富有柿も二本ある。定かではないが聞くところによると、富有柿の発祥地か、一番美味しいところだったか、それが綾川町陶の大宮八幡宮辺りだそうだ。正しく我が家である。確かにこくのある甘さはどのように表現したらよいのか、これ以上の味のものを他で食べたことはない。

  干し上がった柿は冷凍されて毎日薬代わりに頂くことになるが、どれだけ血圧を正常にしてくれるのか、楽しみである。正月飾りの串柿にも自家製が出来そうである。

  これまで塾柿の好きな人に辛うじて残った二、三十個を御裾分けして喜ばれる程度であったが、虫の被害がなければこれだけの収穫が出来ることが分かった。来年からは誰かにご指導を願って虫退治に励もう。そうすれば一年間毎日食べられることになる。

  元々、高所恐怖症とまではいかないが、高いところは苦手である。運動神経抜群で会った同級生が、今では一段の脚立にも、ふらついて上がれなくなった、と嘆いていたが、高い三脚に上がってみて、まだまだわが身は若いと自負出来そうだ。
  我が家を見守ってきた老木が、健康管理に一役買ってくれるとはなんとも有り難い。
 
第179号 礼節
2008-10-01
  中学生が下校する時に校門で振り返って礼をする。自転車に乗っていても一旦下りて校舎に礼をする。掃除をする時には全員正座をして礼をしてから始めて、懸命に雑巾がけをして終われば又正座をして礼をする。

  道徳教育の徹底していた頃の風景でも、どこか他国の学校でもない。日本に現存する学校なのだ。

  NHKの番組「鶴瓶の家族に乾杯」で鶴瓶さんが訪ねた永平寺中学校。

  突然に出掛けて行った土地で、そこに住む人々との出会いを楽しむ旅の娯楽番組だが、最初は校門の傍らで近所に住む人達に

  「ここの生徒は校門を出るときに必ずお辞儀をするから見ておいて下さい」と言われて鶴瓶さんが、全員そんなことをするのかな、とおもしろおかしく眺めていたが、下校が始まると一人の例外もなく礼をして校門を出た。笑いのネタになりかかっていた動作が、実は厳粛なその学校の伝統だったのだ。

  礼に始まって礼で終わる掃除の映像が放映される頃には視聴者の眼も感覚も変ってきたのではないか。

  今の時代にそんな学校があった。永平寺と言う特殊な地域、特別になにかある学校かも知れないが、宗教、思想などを別にしてそれは人として大切な基本ではないか。

  教育の荒廃が叫ばれて久しい。誰もが分かっていることなのに一向に改善される気配が感じられないのは悲しい。

  最近報道される大分県の教育界の腐敗は誠に嘆かわしいが、コメンテーターの誰かが言っていた。

  「大分はまだそんなことをやっていたのか、と言うのが実感です」

  以前は大分県に限らずどこでも見聞きしたことで、教育界のトップがこれを腐敗していると感じないところが重大な問題だ。私がPTAでお世話をさせていた時にも、 ある校長先生から、あの先生は付け届けが激しくて、そのお陰であの地位に付けたが、その付け届けの相手が役に立たなくなると手の平を返したように冷たくなる。と独り言のように私に告げられたが、そんな先生も中にはいるのか、と言う程度に当時は受け止めていたが、大分県はそう言う人達ばかりが教育界を支配していたようである。

  大分県の教育界がどう収束されるのか、膿は徹底して出し切って刷新を図ることを願うばかりだが、全国に放映されたあの中学生の姿を見られた人は多いと思う、永平寺中学校が全国の見本になって学校の雰囲気がより良く改善されることを期待したい。

  礼をする。簡単なことだがこれが難しい。

  住まいの近くに大宮八幡宮がある。その前の道を歩く時に正殿前を通る度にいつも立ち止まって礼をしようと思うのだが、心の中に恥ずかしさがあって出来ない。

  その神社の宮司で戦前には満鉄の総裁を勤め、戦後、帰郷され村長になられて、早くから町村合併に尽力され初代町長を勤められた松本虎太氏。その方は道を歩いていて正殿の前に来ると、きちっと正殿に向って礼をしていた。宮司さんなら当然と言えば当然だが、その姿が子供の私の目に焼きついている。これからは勇気をだして神社の前を通る時は必ず礼をしよう。
 
  永平寺中学校を見習って日本中の学校に礼節が復活することを心から願いたい。
 
第178号 台湾
2008-07-01
  四月の下旬、毎年恒例の、あるメーカーの感謝会が大阪で催される。今年もJRで出かける。岡山から新幹線に乗って見慣れた車窓の風景を眺めていた。いつもと同じ景色の筈なのにどうも今日は違和感がある。脳の受け止め方が違うようだ。

  数日前に、開通して間のない台湾の新幹線に乗って来た。台北から高雄まで二時間足らず。台湾の地形は日本と同じようで島国に山あり谷ありで沿線の景色も変わらない。トンネルを抜けると山間に小さな平野が広がり又トンネルに入る。殊に台中までは山陽新幹線と勘違いするほどそっくりであるが、そこに点在する民家らしき建物が違う。大きいのだ。台湾は大家族で住んでいるのだろう、と勝手に想像をしていたが、それだけではないようだ。以前、どこかの外国人が、新幹線に乗って日本の住宅は、まるでウサギ小屋だ、評していたのを思い出す。

  塀囲いの立派な家もあるが、どうしてもこじんまりとした家のかたまりが目に付く。分譲住宅の区画が狭いのだ。

  経済大国日本も住宅は質素なようである。

  当たり前に眺めていた景色も比較するものがあると随分違った雰囲気に映ってくる。

  同級生メンバーで毎年恒例の旅行を今年は初めて海外の台湾にする。私は台北にメーカーの招待で一度行ったきりだが、故宮意外は全く記憶にない。

  今回は旅行会社のツアーに参加したのだが私には台湾と言えば買春旅行と元々印象の良くない場所だったが、三十六名の団体で、我々男五人に夫婦連れ五組、母娘連れもいて男女ほぼ同数。台湾のイメージも変わったようだ。

  そういえば十余年前に台北へ行った時に、
「昨日」から売春禁止法が強化されて一切許されなくなった、もし見つかるとしばらく日本には帰れない、と聞かされてがっかりしていた添乗員がいた。あれからそのイメージが払拭されてきたのだろう。

  新幹線は日本の技術で出来たのも頼もしい。

  車両は全て神戸で造られた。

  三十数年前に香港に行った時に台北の空港に一旦降りて給油をしたが、その時には滑走路の両側に大砲が並んでいた、なんと恐ろしいところだと感じたのを思い出したが、当時とは場所も施設も変わってそんな暗い雰囲気は全くない。街並みを見る限り日本と生活水準はそう変わりはないのではないか。

  高雄、台南、台中と回って、台北でツアー最後の夜、我々五人に他のメンバー二人が加わって街の雰囲気を味わおうと散策に出掛ける。

  日本語でコーヒーショップと表示された店に入る。店の中央にある十人掛けほどの大きな楕円形のテーブルに老人が一人座っている。相席でお願いしたらその老人は日本人であった。現役の頃は貿易に携わって世界中を回っていたのだが、引退後はこの台北に住まいをして老後をのんびりと暮らしている。物価は安いし治安も良いから快適な日々である、と言っていたが、唯住宅は東京よりも高いらしい。
 
  中国の経済発展も目覚しいが、今後この台湾との関係がどうなるのか、知る由もないが中国、台湾に限らず、世界の人々が平和に暮らせる世の中に導いていける偉大な指導者が現れることを願っている。
 
第189号 ベトナム
2013-06-04

  「難民」と言うイメージしかなかったベトナム。某メーカーの親睦会でホーチミン市(旧サイゴン)を訪れる機会を

 得た。

 一九五四年にジュネーブ協定によってフランスが撤退。そこにアメリカが介入して民族解放戦争が始まった。自国内の戦争で多くの国民が犠牲となった。その悲惨な有様が連日報道されていたのは、ついこの間のように思っていたが、その戦渦が終わってすでに三十数年が過ぎていた。

空港を出て迎えのバスに乗る。僅か二十名足らずの団体に、横三列の豪華な座席の大型バス。滞在期間中、ゆったりと移動、観光させてもらう。

車窓の景色に当然と言えば当然のことだが、難民を連想させるものはなにもない。街並みは綺麗で点在する公園は手入れが行き届いていて市民の憩いの場所になっている。その姿は私には意外だったが、この人達の大半は自国の戦争を知らないで育ったのだ。道路も良く整備されて道幅も広い。唯、日本と全く違った光景があった。単車の群れだ。信号が変わる度に道一杯になって押し寄せてくる。その集団はまるで一斉に飛び立つ鳥の群れを連想する。接触、衝突事故が起きないのが不思議だが、運転技術のなせる技か。もっと驚く事は、その単車の群れの中を横断して行く歩行者がいる。マイペースで歩いて行く。日本ならとっくに跳ねられて大事故になるだろう。相手の動きに合わせて流れに乗って進んで行く。行く手に邪魔がはいるとタイミングよく避けて、決して怒りの感情は起こさない。交差点で集団が合流するときも、お互いに何かの信号でも送りあっているかのように見事に溶け込んで行く。怒らず、焦らず相手を見て自然に行動する。それはこの国の人達の歴史がそうさせたのだろうか。因みに、この単車のほとんどが日本製、人口八百万人に単車はなんと五百万台あるそうだ。

テレビの製造工場を見学する。小さな工場であったが、そのラインに女性が十人ほど並んで、プリント基板に部品をはめ込んでいる部署があった。日本ではこの作業は全て産業用ロボットが自動で行っている。それをその女性達が、両手を使って早く正確に所定の場所に小さな部品を挿していく。これまで日本人ほど器用な国民はいないと固く信じていたが、見事に覆された。器用さ、勤勉さは日本よりもはるかに勝っているように思えた。

郊外に出ると、道端にバラック小屋で商品を並べて売っている風景も見受けられたが、人々の表情は明るい。

メコン河、ベトナム戦禍の報道時に聞きなれた名の河だ。椰子の実に穴を開けてストローで生の果汁を飲みながらのクルーズ。中洲に観光用か、ジャングルらしき場所がある。そこで買った手作りのキャラメルが、包装の不具合でキャラメルの端に紙がくっついて取れない。土産用にと数箱買ったが、残念なことに他人には渡せない。しかし、私には、現地の素朴な人達を思い出しながら美味しく頂いた。

滞在中、案内をしてくれた現地の四十歳位の男性ガイドが

「初めて日本に行って、羽田からモノレールで東京都内の景色を見て驚いた。こんなに進んだ世界があるのだ。残念なことに我が国の若者の大半がそんな日本の姿を知らない」と言っていたのが印象に残る。

  綾歌郡綾川町   

 

第191号  灰になるために生まれてきたんじゃない

第191号  灰になるために生まれてきたんじゃない
 
灰になるために生まれてきたんじゃない

出来たばかりのコンクリート舗装の路上に白い大きな犬の死体が横たわっていた。

開通間もない国道十一号。現在は県道三十三号になっているが、私が高校に通っている三年間に工事が進められて、出来上がった真新しい路面に無残な姿があった。最近では路上に死んでいる犬猫を見るのは珍しくもなくなったが、半世紀も前の光景が強烈に脳裏に残っている。今も通勤時に通る道である。

悲惨な交通事故死は人間も同様で悲しむべきことであるが、その犬猫の命が不慮の死ではなく、まるで売れ残ったコンビニの弁当のように処分されていると聞くと人間のおぞましさに恐怖感を覚える。

それは連日報道される幼児虐待、いじめ、陰惨な殺人事件等殺伐とした世相に現れているようにも思える。

知人が「小さな命の写真展」として、保険所等で殺処分される前の犬猫の表情を写した写真展を常盤街商店街、ホームセンター、駅構内、市役所等々で開催している。

この命、灰になるために生まれてきたんじゃない。全国で一日に約一千頭の犬猫が二酸化炭素に依って殺処分されている。香川県は人口当たりの殺処分数は全国ワースト五位だそうだ。その費用は全国で二十四億円と聞くこれ全て税金で賄われている。

人の癒しの為に、命の尊さを共有する筈のペットが心ない一部の人と思いたいが、無責任に捨てられ殺される。

写真展の会場で売られていた児童書のノンフィクション作家、今西乃子著「犬たちを送る日」の冒頭の部分を要約して紹介したい。

一九七八年、野犬の撲滅対策として、ある県での犬の買い上げ制度を設けたときのことである。

犬を保険所に持ち込んだ県民には一頭五百円の報酬を出す。

そこに小学生三人が七匹の子犬を持ち込んだ。

「すみません、これ買うてくれるんですか?」

「これ?どうしたいん?」

「犬、一匹ここに持ってくれば、五百円くれるって聞いたけん。七匹で三千五百円やけんね。お金くれん?」

当時の三千五百円といえば、かなりの高額である。

「そのお金、何につかうんや?」

「プラモデルじゃけん!欲しいプラモデルがあるで、それ買いたいんや!はようお金ください」

「君らが連れてきた子犬、ここに来てどうなるか知っとるか?」

「・・・?」

「あのな、ここに連れてこられた犬は、みんなあと数日で殺されてしまうんや。この子犬もそうじゃけん。みんな殺されてしまうんやで。それでもええんか?」

「かまわんけん!はようお金ください!はよう行かんと、プラモデルやさん、閉まってしまうけん」

 親が教えたのだ。

「そんなに小遣いがほしかったら、野良犬の子犬を見つけて保険所へ持って行け」と。 

 命を金に換え、そのお金で自分たちの欲しいものを手に入れようとする少年達、それを容認する大人達がたまらなく悲しく思えた。

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