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第172号 樫の木
2007-01-01
  思案の末、やっぱり撤去することにした。
  父が植えた思い出の木でもあるので、そのまま坪庭の中心に残しておきたかったのだが、増築の工事が進むにつれて、どう見ても邪魔な存在になってきた。

  大工さんも気を遣って、木を傷めないように作業をしてくれていたが、誠に申し訳ないことをした。はじめから除けておけば手間がどれだけ省けたことか。

  私の部屋が四畳半で以前から広げたいとは思っていたのだが、息子が結婚をして独立、母が逝って、娘が嫁いで家を出た。夫婦二人になって今更増築する必要はないのだが、家相的に私に合っていると言われたこともあってか、なぜか落ち着ける部屋になっていた。なんとなく人生の終焉を迎える部屋に思えてきて、それならゆったりと過ごせる部屋にしようと増築をすることにした。

  北へ一間半ほど、石垣まで一杯に伸ばすのだが、そうするとその樫の木が部屋と車庫と物置に囲まれてしまう。

  そこを坪庭にすると風情があって楽しい、と設計士も言ってくれたので、樫の木は残すつもりで工事が始まった。

  部屋が出来てくると坪庭にするにはいかにもせせこましい。この際物置も除けて広くウッドデッキ風にすると使いがってもよさそうである。さて、樫の木はどうするか。

  デッキは樫の木の部分をくり貫けば出来ないことはないが、雨避けの屋根を付けるには木が高すぎる。 どう考えても残す方法はなさそうである。

  神主さんを招いて庭師さん同席でお払いをしてもらって、伐採が始まった。やはり残すべきであったかと、一瞬後悔の念がよぎったが庭師さんは容赦なくチエンソーで切り取っていく。

  いとも簡単に終了したように思えた。

  その後、問題は根株の除去、増築前なら重機が入って簡単に掘り起こせたのだが、それが入らないとなると人力しかない。工務店の監督さんと、従業員の二人で、夏の盛りに二日かかりで掘り上げてくれる。立っている時は、それほどの大木とは見えなかったが、さすがに七十年の歳月相応に育っていた。切り倒してみると幹の直径は四〇センチ、掘り起こした根株は長さが一メートル近くもある。その幹の太い部分と根株は捨てるのが忍び難く、大切に保管してある。いずれ何かに加工して記念に残しておこう。

  人情の機微が解る父と思ったことはないが、この樫の木を見ていると必ず父が浮かんでくるのはなぜか。父が植えたと言う確証もないが、幼い時からそう信じていた。当時、我が家と隣の畑との境界杭の代わりに植えたと私は思っている。その境界線を巡って言いがかりを付けられて、なんとも嫌な思いをさせられて、幼な心が傷付き、それが原因で田舎嫌いになってしまったのだが、そのようなことはなにも昔の田舎の話だけではなかった。現在にも都会にも醜い人間のエゴは日常茶飯事あることだ。それが年とともに図太く鈍感になって、少々のことには動じない知恵がいつの間にか備わってきたのは、私にとって喜ぶべきことか、悲しむべきことか。父はそんなことには一切無頓着な他人の目は気にしない純粋な人だったようで羨ましくもある。

  父の二十三回忌も平成十八年の初めに済ませていたが、その時以上に父を思い出させる樫の木の伐採であった。
 
第171号 大連
2006-10-01
  目の前の信号は青、横断歩道をまっすぐに歩いて行くと突然右折してきたタクシーが私に突進してきた。咄嗟に飛びのいて難を逃れたが、添乗員からくれぐれも車に気をつけて下さいと言われていたのを思い出す。歩行者優先に慣れきった私には肝を冷やした一瞬であった。    

  社内旅行で大連を訪れた時に、駅前のホテルから町の中心の中山広場まで夜の中国の雰囲気を楽しみながら歩いてみようと一人で出掛けたのだが、気楽に歩いていては命を落としかねない。現地の人の話では中国の年間交通事故死亡者数は十万人位だそうだ。人口を考えると日本と大差はない。車の普及率、地域差など単純には比較は出来ないかも知れないが、行き交う車の間をすり抜けて行く歩行者の危険な姿を見ていると事故死が日本と同じ率とは考え難い。

  中山広場は、日が暮れると市民が集まって来て、民族舞踊に社交ダンス、若者は羽の付いた小さな蹴鞠のような遊びを楽しんでいる。
  円形の広場から放射状に大通りが十本ほど延びていて、昼間何度かバスで通ったから十分に覚えているつもりが、三百六十度回ってみると方向が分からなくなって、来た道を探すのに一苦労、それでもなんとか余分なウオーキングをして無事にホテルに着く。

  大連の駅は上野駅と同じ人が設計をして非常によく似ていると説明があったので是非覗いてみようと思ったのだが、ホテルの九階の部屋の窓から真下に見える駅、駅前広場、道路を行き交う人と車の動きを見ていると恐怖感が沸いてきて、その中には入って行く勇気はなかった。 

  大連はその港から終戦後、多くの日本人が引き揚げて来たと言うことくらいの誠に乏しい知識で訪れたのだが、その町並みは世界に誇る美しい町と言われるシンガポールにも劣らぬ美しさと私には見えた。現地の商人に案内されて裏通りにも入って行ったが、目を背けたくなるような光景はなかった。

  日本人が引き揚げた桟橋は昔のままだそうだ。向かいの元大連埠頭事務所の屋上から見下ろすと、戦争に敗れて命からがら船に乗り込む日本人の姿が浮かぶ。あれから数十年経って、日本も中国も今はこうして観光で行き交うことが出来る幸せな時代になった。驚いたことに現地のガイドさんが

  「遍路宿の随筆読ませてもらいました」 

  えっ? 怪訝な顔をしている私に、

  「おたくの会社のホームページを開いたら載っていました」

  今はそんな時代になっているのだ。例え一人でも異国の大連で読んでくれた人がいるのは嬉しい。 

  休日で市内最大の公園「星海公園」には家族連れが溢れ、その日が吉日であったのか、海岸沿いに点在する公園にウエディングドレスのカップルが百組以上はいただろう。それぞれ幸せのポーズで記念写真に納まっている。その数の多さに異様な感じがしないでもないが、衣装も顔も日本人と変わらない。

  入口を入った正面に巨大な象の剥製がある自然博物館、館長さんが流暢な日本語で親切に説明をしてくれる。地球の成り立ち、自然の不思議、聞き入っている間に最後の展示室に入る。豪華な紫檀や黒檀のケースの中に、宝石の原石に中国独特の細工をした飾り物が、収められている。説明を聞きながらその繊細さに感心をしていたら、いつの間にか説明がセールスに変わっている。さすがに華僑の本家、高価なお土産を買わされてしまった。
 
第170号 父息子
2006-07-01
 母が亡くなって二年、母の里のお墓の世話をする人がいなくなっていた。我が家から歩いて数分のところにあるそのお墓に、母とその季節折々にお参りをしていたのでそのまま私が続けてもよかったのだが、仏様には余計なことはしないほうがよいと忠告をしてくれた人がいて遠慮をしていた。

そのお墓に、四十年余りも前に不始末を起こして、行方不明になっていた母の里の跡取り息子の遺骨を納骨することになったので親戚の人も来てほしいと、同行(自治会)の方から連絡をもらった。

亡くなる前にふるさと恋しさからか何度か帰って来ていたようだ。近所の人には迷惑をかけたと謝罪して近年は親しく交流もしてもらっていたようだが、さすがに親戚には顔を出せない思いがあったのか。

どんな逃亡生活をしていたのか、心配はしていたが、大阪で知り合った奇特な方にお世話になって死に水まで取ってもらった。
古いお墓は石を持ち上げてお骨を納める、狭い納骨場所に両親のお骨に挟まれて納まった。

「これで両親の元にいきましたよ」と同行の代表の方が言われる。

七十五歳の生涯で両親と幸せに暮らしたのは何年間であったのか。
その両親には子供がなくて女の子をもらったら直ぐに「せらい子」か、男の子が生まれた。それがその息子で両親の溺愛の中で育てられたのは想像に難くない。

誰にも好かれる人の良いやさしい人であった。私が小学生の時に学校から帰り道、文房具屋の店先で陳列の中を覗いていたら、どこにいたのか現れて「どれがいるんや」と鉛筆を買ってくれた。それがなぜか強く脳裏に残っている。
酒は飲めなかったが宴席は見事にこなす社交家でもあった。それがなぜ道を間違えた。

何にどれだけ使ったのか、知る由もないが借金を繰り返してついには村で指折りだった百姓の田畑も人手に渡る。

甥のお陰で出里をなくした母の心境はどうであったか。そのさみしさ、愚痴は一言も聞いたことはなかったが、耐えるに忍びない思いであったことは間違いないだろう。

「親の餓鬼道に子の極道」を正に地で行った親子だった。

戦争で母の里を頼りに引き揚げて来た私達家族がどんなに困っていても少しの米も分けてはくれなかった。何に対しても「けち」の模範であったが、それが、なぜ息子には伝わらなかったのか。息子にだけは甘かったのだろう。それでも老いてどんな心境の変化があったのか

「新米が出来たぞ、この野菜を食べや」と我が家に運んでくれる好爺やになっていたようだ。
借金塗れの息子を見て
「わしゃ、この子と″へんど〟して回ってもかまわん」
ものの善悪は別にして、その言葉に親父の本質を見る思いがした。育てた息子に営々として築いてきた身代をすべて失なわされてなお悔いない親父の心底は他人の物差しでは計れない。
関わった家族にはこれ以上ない迷惑な父息子であったが、当人には満足の人生であったのだろう。
 
第169号 孫二人
2006-04-01
  「泰和」これを「やまと」と読ます。
  二人目の孫の名前である。姓名判断の本を見て字画の数から両親が選んで付けたのだが、これが役場ですんなりと、受け付けてくれるのが私には不思議に思えるのだが、それは国語力がない証拠か。家内はこんなのは誰もまともに読んでくれない、と不満気であったが、私はその発想に感心をした。本人が成長したときにどう感じるのかは、想像のしようもないが、両親が考えて付けた名前に満足が出来るように育ってほしいと思う。

三月三十一日生まれで、二十二か月違いの上の初孫とは、学年で年子になった。わずか二日の差で学年が一年早くなる。これが成長過程でどう言う影響があるのか、どちらがよかったのか。分からないが自然の営みには素直に従うしかない。

この弟が生まれて、今まで両親の愛情一杯に育てられた初孫が、どんな反応を示すのか興味深く、又非常に心配でもあった。入院した母親を追って泣くのではないか。母親を取られたような思いになるのではないか。

ところがそんな心配は全くの思い過ごしであった。父親と病院に行っても帰り際には母親にバイバイと手を振る。夜中に母を捜して泣くこともなかった。反対に母親の方がさみしさを感じるほどであったようだが、これは普段の親子のふれあいの中で、きちっと信頼関係が出来ていたのだと思う。二歳足らずの子供にも親に対する安心感が備わっていた。

息子夫婦は我が家から二kmほどの所に住んでいるが、一週間に一度、孫を連れてやってくる。それが楽しみのひとときでもあるのだが、いつも感心するのは息子夫婦の子供に対する接し方である。目一杯甘やかして頬すりをして、叱る時にはきちっと叱る。好々爺で孫を見ておれる幸せは何物にも変え難い。

最近人殺しのニュースが毎日のように報道される。それも未成年者の割合が特に多くなってきた。凶悪犯の低年齢化が深刻な問題になっている。罰則規定の年齢を引き下げたり罪を重くしたりされているようだが、その前に考えなければならないのは、罪を犯した子供も又被害者であると言うことだと思う。親からの虐待、放任、溺愛の結果であることは誰もが分かっていることなのに、大人の責任逃れか、触れようとしない。罪を犯した子供の責任を取ってその親が刑を受けるのは当然のことだが、そんな話は聞いたことがない。法曹界の人達の心の無さがこんなおかしな世の中にしてしまったと私は思っている。親の愛情が伝わっていれば子供は素直に育つ。これは長井秀和ではないが「間違いない」。

我が孫を見ているとその思いが益々強くなってくる。この孫が道を誤ることは決してないと確信しているが、ただ心配なのは、どう考えてみても、これから親になっていく人達の質が良くなる気配が見えない。もっと荒んだ世の中になっていくのではないか。無責任な親に育てられた子供等に翻弄されては困る。爺やの老婆心である。

初孫の名前は「さくら」これはその年の最も多かった名前のようだが、今可愛い盛り。やっと「じいちゃん」と言えるようになった。

  「さくら」に「やまと」どう見ても日本人だ。この子等の将来を見届けることは出来ないけれど、少なくとも今よりは平和な世界になっていてほしいと願っている。
 
第168号 御堂筋
2006-01-01
  「メトロへ降りる階段の手すりに浮かぶ白い指・・・」もう半世紀近くも前になるが神戸一郎が歌った「たそがれの御堂筋」の歌詞の三番に出てくるフレーズ。メトロと言う響きが新鮮で地下鉄に帰って行く恋人の姿がいかにも都会らしくて田舎の高校生の私にはたまらない憧れであった。

地元の放送局で、ある金融機関が提供している「あの歌に逢いたい」と言うラジオ番組がある。その金融機関の得意先をスタジオに呼んで歌にまつわる話をしながら、その歌を聴く番組だが、ラジオ人間と自称する私だが申し訳けないことに、その番組の存在は知らなかったが、お声がかかって出演することになった。前もって希望する数曲を書いて放送局に提出しておく。その際にこの「たそがれの御堂筋」はどんなことがあってもレコードを探して下さいと担当の支店長にお願いをしておいた。と言うのも、近年東京、大阪へ出張する度にレコード店、古本屋等へ寄って探し尋ねたがレコードは元より歌詞楽譜も見当たらない。レコード会社に問い合わせても分かりませんとつれない返事、唯一の手がかりは大阪の民放からクイズ番組で瞬間流れたことがあった。放送局にはあるはずである。

番組収録の前日に支店長からありましたの連絡が入る。廃棄同然の別倉庫からスタッフが探し出してきてくれたようだ。

針の雑音も懐かしく四十数年ぶりに聞く。

社員の前で「カラオケで歌う曲は自分でピアノ伴奏で歌うようにこれからピアノの練習をする」と宣言して五年。はじめる前は二、三年もすればなんでも弾けるようになるだろうと思っていたが、才能の無さはいかんともし難く悪戦苦闘している。それでも何曲かめどがついてくると懐かしいあの歌が歌いたい。

探し出してくれたレコードのジャッケトはこれぞセピア色、辛うじて歌詞は判読出来るが楽譜はない。番組のカセットを再生しては楽譜作り、音はピアノで拾えても細かい調子は聞き取れない、ほとんど先生頼りだが、作曲名人のパソコンのソフトを使うときれいな楽譜が出来上がる。もっか特訓中である。

御堂筋と言えば大阪を代表する通り。坂本スミ子も同じ題名の歌を歌っている。銀杏並木が美しい北と南の繁華街を結ぶ大通。この道を作ったのは大正から昭和初期の市長、当時は飛行機の滑走路でも作るのかと皮肉られたそうだが、その後の大阪の発展になくてはならい道になったのは言うまでもない。

その御堂筋に面した市役所が今大きく揺れている。腐敗仕切った市の実態が日本中に知れ渡った。元職員として勤めていたことのある市長が辞任した。きちんと責任を取るのかと思いきや、なんとみそぎの選挙に出るのだそうだ。厚顔この上ない。まさか大阪市民は再びそんな人を市長に選んだりはしないだろうが、なんとその前市長は御堂筋の生みの親の孫である。草葉の陰で祖父はなんとおしゃられているだろうか。

先日東京に出張した時に地下鉄の駅の入口の表示が「地下鉄」から「東京メトロ」に変わっている。車内にも東京メトロとアナウンスが流れていた。メトロが半世紀ぶりに復活したようである。

若者の憧れの大都会が最近では老若男女揃って移り住むのか、東京は空前のマンションブームのようである。都会は人間の住めるところではないと負け惜しみで慰めて、田舎でのんびり「たそがれの御堂筋」を歌っているのはささやかな幸せのひとときか。
 

第191号  灰になるために生まれてきたんじゃない

第191号  灰になるために生まれてきたんじゃない
 
灰になるために生まれてきたんじゃない

出来たばかりのコンクリート舗装の路上に白い大きな犬の死体が横たわっていた。

開通間もない国道十一号。現在は県道三十三号になっているが、私が高校に通っている三年間に工事が進められて、出来上がった真新しい路面に無残な姿があった。最近では路上に死んでいる犬猫を見るのは珍しくもなくなったが、半世紀も前の光景が強烈に脳裏に残っている。今も通勤時に通る道である。

悲惨な交通事故死は人間も同様で悲しむべきことであるが、その犬猫の命が不慮の死ではなく、まるで売れ残ったコンビニの弁当のように処分されていると聞くと人間のおぞましさに恐怖感を覚える。

それは連日報道される幼児虐待、いじめ、陰惨な殺人事件等殺伐とした世相に現れているようにも思える。

知人が「小さな命の写真展」として、保険所等で殺処分される前の犬猫の表情を写した写真展を常盤街商店街、ホームセンター、駅構内、市役所等々で開催している。

この命、灰になるために生まれてきたんじゃない。全国で一日に約一千頭の犬猫が二酸化炭素に依って殺処分されている。香川県は人口当たりの殺処分数は全国ワースト五位だそうだ。その費用は全国で二十四億円と聞くこれ全て税金で賄われている。

人の癒しの為に、命の尊さを共有する筈のペットが心ない一部の人と思いたいが、無責任に捨てられ殺される。

写真展の会場で売られていた児童書のノンフィクション作家、今西乃子著「犬たちを送る日」の冒頭の部分を要約して紹介したい。

一九七八年、野犬の撲滅対策として、ある県での犬の買い上げ制度を設けたときのことである。

犬を保険所に持ち込んだ県民には一頭五百円の報酬を出す。

そこに小学生三人が七匹の子犬を持ち込んだ。

「すみません、これ買うてくれるんですか?」

「これ?どうしたいん?」

「犬、一匹ここに持ってくれば、五百円くれるって聞いたけん。七匹で三千五百円やけんね。お金くれん?」

当時の三千五百円といえば、かなりの高額である。

「そのお金、何につかうんや?」

「プラモデルじゃけん!欲しいプラモデルがあるで、それ買いたいんや!はようお金ください」

「君らが連れてきた子犬、ここに来てどうなるか知っとるか?」

「・・・?」

「あのな、ここに連れてこられた犬は、みんなあと数日で殺されてしまうんや。この子犬もそうじゃけん。みんな殺されてしまうんやで。それでもええんか?」

「かまわんけん!はようお金ください!はよう行かんと、プラモデルやさん、閉まってしまうけん」

 親が教えたのだ。

「そんなに小遣いがほしかったら、野良犬の子犬を見つけて保険所へ持って行け」と。 

 命を金に換え、そのお金で自分たちの欲しいものを手に入れようとする少年達、それを容認する大人達がたまらなく悲しく思えた。

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