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第170号 父息子
2006-07-01
 母が亡くなって二年、母の里のお墓の世話をする人がいなくなっていた。我が家から歩いて数分のところにあるそのお墓に、母とその季節折々にお参りをしていたのでそのまま私が続けてもよかったのだが、仏様には余計なことはしないほうがよいと忠告をしてくれた人がいて遠慮をしていた。

そのお墓に、四十年余りも前に不始末を起こして、行方不明になっていた母の里の跡取り息子の遺骨を納骨することになったので親戚の人も来てほしいと、同行(自治会)の方から連絡をもらった。

亡くなる前にふるさと恋しさからか何度か帰って来ていたようだ。近所の人には迷惑をかけたと謝罪して近年は親しく交流もしてもらっていたようだが、さすがに親戚には顔を出せない思いがあったのか。

どんな逃亡生活をしていたのか、心配はしていたが、大阪で知り合った奇特な方にお世話になって死に水まで取ってもらった。
古いお墓は石を持ち上げてお骨を納める、狭い納骨場所に両親のお骨に挟まれて納まった。

「これで両親の元にいきましたよ」と同行の代表の方が言われる。

七十五歳の生涯で両親と幸せに暮らしたのは何年間であったのか。
その両親には子供がなくて女の子をもらったら直ぐに「せらい子」か、男の子が生まれた。それがその息子で両親の溺愛の中で育てられたのは想像に難くない。

誰にも好かれる人の良いやさしい人であった。私が小学生の時に学校から帰り道、文房具屋の店先で陳列の中を覗いていたら、どこにいたのか現れて「どれがいるんや」と鉛筆を買ってくれた。それがなぜか強く脳裏に残っている。
酒は飲めなかったが宴席は見事にこなす社交家でもあった。それがなぜ道を間違えた。

何にどれだけ使ったのか、知る由もないが借金を繰り返してついには村で指折りだった百姓の田畑も人手に渡る。

甥のお陰で出里をなくした母の心境はどうであったか。そのさみしさ、愚痴は一言も聞いたことはなかったが、耐えるに忍びない思いであったことは間違いないだろう。

「親の餓鬼道に子の極道」を正に地で行った親子だった。

戦争で母の里を頼りに引き揚げて来た私達家族がどんなに困っていても少しの米も分けてはくれなかった。何に対しても「けち」の模範であったが、それが、なぜ息子には伝わらなかったのか。息子にだけは甘かったのだろう。それでも老いてどんな心境の変化があったのか

「新米が出来たぞ、この野菜を食べや」と我が家に運んでくれる好爺やになっていたようだ。
借金塗れの息子を見て
「わしゃ、この子と″へんど〟して回ってもかまわん」
ものの善悪は別にして、その言葉に親父の本質を見る思いがした。育てた息子に営々として築いてきた身代をすべて失なわされてなお悔いない親父の心底は他人の物差しでは計れない。
関わった家族にはこれ以上ない迷惑な父息子であったが、当人には満足の人生であったのだろう。
 
第169号 孫二人
2006-04-01
  「泰和」これを「やまと」と読ます。
  二人目の孫の名前である。姓名判断の本を見て字画の数から両親が選んで付けたのだが、これが役場ですんなりと、受け付けてくれるのが私には不思議に思えるのだが、それは国語力がない証拠か。家内はこんなのは誰もまともに読んでくれない、と不満気であったが、私はその発想に感心をした。本人が成長したときにどう感じるのかは、想像のしようもないが、両親が考えて付けた名前に満足が出来るように育ってほしいと思う。

三月三十一日生まれで、二十二か月違いの上の初孫とは、学年で年子になった。わずか二日の差で学年が一年早くなる。これが成長過程でどう言う影響があるのか、どちらがよかったのか。分からないが自然の営みには素直に従うしかない。

この弟が生まれて、今まで両親の愛情一杯に育てられた初孫が、どんな反応を示すのか興味深く、又非常に心配でもあった。入院した母親を追って泣くのではないか。母親を取られたような思いになるのではないか。

ところがそんな心配は全くの思い過ごしであった。父親と病院に行っても帰り際には母親にバイバイと手を振る。夜中に母を捜して泣くこともなかった。反対に母親の方がさみしさを感じるほどであったようだが、これは普段の親子のふれあいの中で、きちっと信頼関係が出来ていたのだと思う。二歳足らずの子供にも親に対する安心感が備わっていた。

息子夫婦は我が家から二kmほどの所に住んでいるが、一週間に一度、孫を連れてやってくる。それが楽しみのひとときでもあるのだが、いつも感心するのは息子夫婦の子供に対する接し方である。目一杯甘やかして頬すりをして、叱る時にはきちっと叱る。好々爺で孫を見ておれる幸せは何物にも変え難い。

最近人殺しのニュースが毎日のように報道される。それも未成年者の割合が特に多くなってきた。凶悪犯の低年齢化が深刻な問題になっている。罰則規定の年齢を引き下げたり罪を重くしたりされているようだが、その前に考えなければならないのは、罪を犯した子供も又被害者であると言うことだと思う。親からの虐待、放任、溺愛の結果であることは誰もが分かっていることなのに、大人の責任逃れか、触れようとしない。罪を犯した子供の責任を取ってその親が刑を受けるのは当然のことだが、そんな話は聞いたことがない。法曹界の人達の心の無さがこんなおかしな世の中にしてしまったと私は思っている。親の愛情が伝わっていれば子供は素直に育つ。これは長井秀和ではないが「間違いない」。

我が孫を見ているとその思いが益々強くなってくる。この孫が道を誤ることは決してないと確信しているが、ただ心配なのは、どう考えてみても、これから親になっていく人達の質が良くなる気配が見えない。もっと荒んだ世の中になっていくのではないか。無責任な親に育てられた子供等に翻弄されては困る。爺やの老婆心である。

初孫の名前は「さくら」これはその年の最も多かった名前のようだが、今可愛い盛り。やっと「じいちゃん」と言えるようになった。

  「さくら」に「やまと」どう見ても日本人だ。この子等の将来を見届けることは出来ないけれど、少なくとも今よりは平和な世界になっていてほしいと願っている。
 
第168号 御堂筋
2006-01-01
  「メトロへ降りる階段の手すりに浮かぶ白い指・・・」もう半世紀近くも前になるが神戸一郎が歌った「たそがれの御堂筋」の歌詞の三番に出てくるフレーズ。メトロと言う響きが新鮮で地下鉄に帰って行く恋人の姿がいかにも都会らしくて田舎の高校生の私にはたまらない憧れであった。

地元の放送局で、ある金融機関が提供している「あの歌に逢いたい」と言うラジオ番組がある。その金融機関の得意先をスタジオに呼んで歌にまつわる話をしながら、その歌を聴く番組だが、ラジオ人間と自称する私だが申し訳けないことに、その番組の存在は知らなかったが、お声がかかって出演することになった。前もって希望する数曲を書いて放送局に提出しておく。その際にこの「たそがれの御堂筋」はどんなことがあってもレコードを探して下さいと担当の支店長にお願いをしておいた。と言うのも、近年東京、大阪へ出張する度にレコード店、古本屋等へ寄って探し尋ねたがレコードは元より歌詞楽譜も見当たらない。レコード会社に問い合わせても分かりませんとつれない返事、唯一の手がかりは大阪の民放からクイズ番組で瞬間流れたことがあった。放送局にはあるはずである。

番組収録の前日に支店長からありましたの連絡が入る。廃棄同然の別倉庫からスタッフが探し出してきてくれたようだ。

針の雑音も懐かしく四十数年ぶりに聞く。

社員の前で「カラオケで歌う曲は自分でピアノ伴奏で歌うようにこれからピアノの練習をする」と宣言して五年。はじめる前は二、三年もすればなんでも弾けるようになるだろうと思っていたが、才能の無さはいかんともし難く悪戦苦闘している。それでも何曲かめどがついてくると懐かしいあの歌が歌いたい。

探し出してくれたレコードのジャッケトはこれぞセピア色、辛うじて歌詞は判読出来るが楽譜はない。番組のカセットを再生しては楽譜作り、音はピアノで拾えても細かい調子は聞き取れない、ほとんど先生頼りだが、作曲名人のパソコンのソフトを使うときれいな楽譜が出来上がる。もっか特訓中である。

御堂筋と言えば大阪を代表する通り。坂本スミ子も同じ題名の歌を歌っている。銀杏並木が美しい北と南の繁華街を結ぶ大通。この道を作ったのは大正から昭和初期の市長、当時は飛行機の滑走路でも作るのかと皮肉られたそうだが、その後の大阪の発展になくてはならい道になったのは言うまでもない。

その御堂筋に面した市役所が今大きく揺れている。腐敗仕切った市の実態が日本中に知れ渡った。元職員として勤めていたことのある市長が辞任した。きちんと責任を取るのかと思いきや、なんとみそぎの選挙に出るのだそうだ。厚顔この上ない。まさか大阪市民は再びそんな人を市長に選んだりはしないだろうが、なんとその前市長は御堂筋の生みの親の孫である。草葉の陰で祖父はなんとおしゃられているだろうか。

先日東京に出張した時に地下鉄の駅の入口の表示が「地下鉄」から「東京メトロ」に変わっている。車内にも東京メトロとアナウンスが流れていた。メトロが半世紀ぶりに復活したようである。

若者の憧れの大都会が最近では老若男女揃って移り住むのか、東京は空前のマンションブームのようである。都会は人間の住めるところではないと負け惜しみで慰めて、田舎でのんびり「たそがれの御堂筋」を歌っているのはささやかな幸せのひとときか。
 
第167号 ガーデニングライフ
2005-10-01
  我が家にNHKの石澤典夫アナウンサーが来られる。数年前まで七時の全国ニュースのキャスターをされていた人で、報道から美術番組に移られて現在はガーデニングの番組を担当されている。

  「BS―2」で日曜日の朝六時二十五分から放送されている「素敵にガーデニングライフ」の番組に我が家の庭が紹介されることになった。

  アシスタントは元アナウンサーでタレントの小林あずささん。 美人であることはもちろんのこと、そのスタイルの良さはさすがにテレビに出る人は体型が全く違う。

  他にデレクター、カメラマン、ミキサー等総勢9名。わずか二十五分の番組を作るのにこれだけのスタッフが必要なのだ。それもその一日で終わったわけではない。カメラマン他数人が後二日間かけて部分的なところを撮影する。それに前もって打ち合せが二回、延べ人数にすると実に二十数人にもなる。そしてその撮影したものを編集するにはどれだけの日数がかかるのか、知るよしもないが、 番組作りには多大な費用がかかっていることを実感する。

  門のところから撮影が始まる。石澤アナと小林あずささんが我が家を訪ねてきた設定で庭に向かって歩いて行く。庭のバラの中で家内が迎える。実況放送だと何台もカメラが追っていてそのベストアングルのカメラに切り替えていくのだろうが、今回の収録にはカメラは一台、送るシーンに、迎えて通過するシーンと同じ場面をカメラを移動して二度、三度繰り返して撮影する。 素人の私等には芝居染みて見えるが、これを自然に歩いて行ったように秒単位で編集して番組が出来上がる。

  頼まれて太い竹を繰り抜いて寄せ植え用のコンテナを作るシーンに作業場の私が登場。どんな姿に撮れているのやら。放送日は九月の十八日の予定であったが十月二日(再放送は三日午前十一時十五分)に変更になったから、この遍路宿を読まれて興味のある方はご覧下さい。

  昼食にスタッフ全員にさぬきうどんを食してもらう。我が家のリビングで有名アナウンサーがうどんを食べている。にわかには信じ難い光景である。昨年リホームをしておいてよかった。

  石澤アナと小林あずささんは日本だけではなく世界のガーデニングの取材に行かれて多忙で経験も豊富だからいつでもぶっつけ本番で出来ると思えるのだが、一時、姿が見えないと思ったら真剣な顔で番組制作用の台本を見ておられた。多分ここでこうしてこんな話をして、と頭に入れられていたのだと思う。なに気なく出来ているように見えてもそれぞれに努力をされている姿を垣間見る。

  撮影は家内が案内をして家の回りを一周する形で行われたが、朝の九時前から昼食を挟んでほとんど休憩なしで撮られて、石澤アナが帰られたのは四時を過ぎていた。

  撮影に使ったテープは四十分用が六本。それがほぼ十分の一に編集される。

  憧れの錦鯉が飼いたさに、借金までして庭を造ったのは我が家だけだろう、と苦笑してから三十余年。今度は家内がはじめたガーデニングが最近のブームになってあちこちから興味のある人が訪れてくれて交流の輪が広がっている。
 
第166号 府中湖
2005-07-01
  府中湖の湖面を見渡せる丘の上に彫刻家の故藤本良和氏制作の石彫「世世(ゼゼ)」が坂出ライオンズクラブ四十五周年記念事業として建立された。                                     

  遠くに高速道路の斜張橋、その手前に一般道のアーチ橋を望み湖面には若者達のカヌーが行き交う。石彫の周辺には同じライオンズクラブの寄贈で桜が植えられ近い将来香川の桜の名所にもなるだろう。

  ダムによって出来た府中湖は今や全国に知れたカヌー競技場になっている。幾多の有名選手も輩出してきた。坂出市内の高校生を中心に、カヌークラブには小学生もメンバーに加わってその裾野は広い。いつの日かここで育った選手がオリンピックのメダリストになることが夢です、とカヌーについて教えてくれた事務所の職員さんは目を輝かす。

  石彫の脇に立って湖面を眺めているとふと四十年ほど前の光景が浮かぶ。湖底に沈んだ川の流れ、その川に沿った砂利道を自転車で通学していた。家から学校まで一時間余り。暑い夏の日、川岸の涼しい木陰で弁当を食べた記憶があるが、それは授業が急に半ドンになったからか。真面目さは今も変わらず、授業の途中で抜け出すほどの要領の良さは当時からなかった。

  夏は汗びっしょりになって、ハンドルを握る手は真っ黒。冬は学校に着くころには膝から下は完全に感覚を失っている。

  都会に憧れて一旦香川を離れたのだが、戻ってみると何の因果か気がつくと学校の近くの会社に通勤している。湖底に沈んだ道を除けば今もほぼ同じ道を通っている。時代の進歩のお陰とは言え車は有り難い。雨風知らず、猛暑も凍てつく寒さも知らずに朝は二十数分で着く。手足の霜焼けの跡だけが半世紀前の苦悩を呼び起こしてくれる。

  ダムの建設にともなって造られた湖面の東側の道路を毎日通っているが、そこから見える場所に、ダムの放水で水面が下がると民家の基礎と井戸の跡のイガワが出てくるところがある。それが見えると妙になつかしい思いがしてくる。

  今は道路の下に見えるが、自転車で通った川沿いの道からは少し奥まった木立の中にあった農家の家。自転車に乗った女生徒が出てくるのを何度か見掛けたことがあった。

  この綾川の上流、滝宮神社の下の流れは大きな岩が見事な景観を成していた。夏には格好の泳ぎ場で小学生の頃、野外授業で級友達と三角ふんどしで毎年泳いでいた。図画の時間にも何度か岩に腰掛けてその風景を書いた。その景観がダムによって沈んでしまうらしいと香川を離れる時に聞かされてはいたが、なぜそんな無謀なことをするのか信じ難かったが、十数年後帰ってみるとやはり見事な岩の姿はなかった。

  経済発展の為には水の確保は不可欠で、ダムの建設で坂出番の州の工業地帯を支えてきた事実には、自然美の犠牲も止むを得なかったのかも知れない。

  新たに創造された湖の雄大な人工美がこれからの世の中の発展にふさわしい光景として存在して行くのだろう。
  府中湖の丘で空に向かって伸びる御影石のモニュメント、石彫「世世」は「未来永劫」を表現してこれからの坂出市民、いえ全人類の発展を見守っている。
 

第191号  灰になるために生まれてきたんじゃない

第191号  灰になるために生まれてきたんじゃない
 
灰になるために生まれてきたんじゃない

出来たばかりのコンクリート舗装の路上に白い大きな犬の死体が横たわっていた。

開通間もない国道十一号。現在は県道三十三号になっているが、私が高校に通っている三年間に工事が進められて、出来上がった真新しい路面に無残な姿があった。最近では路上に死んでいる犬猫を見るのは珍しくもなくなったが、半世紀も前の光景が強烈に脳裏に残っている。今も通勤時に通る道である。

悲惨な交通事故死は人間も同様で悲しむべきことであるが、その犬猫の命が不慮の死ではなく、まるで売れ残ったコンビニの弁当のように処分されていると聞くと人間のおぞましさに恐怖感を覚える。

それは連日報道される幼児虐待、いじめ、陰惨な殺人事件等殺伐とした世相に現れているようにも思える。

知人が「小さな命の写真展」として、保険所等で殺処分される前の犬猫の表情を写した写真展を常盤街商店街、ホームセンター、駅構内、市役所等々で開催している。

この命、灰になるために生まれてきたんじゃない。全国で一日に約一千頭の犬猫が二酸化炭素に依って殺処分されている。香川県は人口当たりの殺処分数は全国ワースト五位だそうだ。その費用は全国で二十四億円と聞くこれ全て税金で賄われている。

人の癒しの為に、命の尊さを共有する筈のペットが心ない一部の人と思いたいが、無責任に捨てられ殺される。

写真展の会場で売られていた児童書のノンフィクション作家、今西乃子著「犬たちを送る日」の冒頭の部分を要約して紹介したい。

一九七八年、野犬の撲滅対策として、ある県での犬の買い上げ制度を設けたときのことである。

犬を保険所に持ち込んだ県民には一頭五百円の報酬を出す。

そこに小学生三人が七匹の子犬を持ち込んだ。

「すみません、これ買うてくれるんですか?」

「これ?どうしたいん?」

「犬、一匹ここに持ってくれば、五百円くれるって聞いたけん。七匹で三千五百円やけんね。お金くれん?」

当時の三千五百円といえば、かなりの高額である。

「そのお金、何につかうんや?」

「プラモデルじゃけん!欲しいプラモデルがあるで、それ買いたいんや!はようお金ください」

「君らが連れてきた子犬、ここに来てどうなるか知っとるか?」

「・・・?」

「あのな、ここに連れてこられた犬は、みんなあと数日で殺されてしまうんや。この子犬もそうじゃけん。みんな殺されてしまうんやで。それでもええんか?」

「かまわんけん!はようお金ください!はよう行かんと、プラモデルやさん、閉まってしまうけん」

 親が教えたのだ。

「そんなに小遣いがほしかったら、野良犬の子犬を見つけて保険所へ持って行け」と。 

 命を金に換え、そのお金で自分たちの欲しいものを手に入れようとする少年達、それを容認する大人達がたまらなく悲しく思えた。

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