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第160号 良い会社
2004-01-01
  「大きい会社よりも良い会社」

  世間から見れば誰もが世界に誇る大会社だと思うのだが、そう言い続けて亡くなられたその会社の名誉会長「丹羽正治氏」。

  一般にはあまり知られていないかも知れないが松下幸之助氏が創設した松下政経塾の初代塾長と言えば思い出される人も多いと思う。我々の電設業界では神様のように尊敬されている人である。もちろん松下幸之助氏の右腕で最も信頼の厚い一人であった。

  その方のお墓が大阪市天王寺区のお寺にあると教えられて、大阪へ出張時にお参りさせていただいた。

  驚いたことにその日が、丹羽家の法要の日であった。対応に出て来られたお寺の方に、本堂に上がるようにすすめられる。事情を話してお墓に案内をして頂く。教えられたお墓はやはりと言うのか、そのお人柄をそのままに周囲のお墓と目立つことなく質素なたたずまいであった。神妙に手を合わせる。

  私には雲の上の人で、その人となりを直接に知ることも、もちろん話すこともなかったが、勤めていた会社の社長をはじめ上司が丹羽社長に心酔されていてそのお人柄はよく聞かされていた。

  どこかの宗教で人間革命と言う言葉を聞いたことがあるが、私にとっては正にその時が心の革命であったと鮮明に記憶をしていることがある。

  丹羽社長の会社が全国の有力代理店の社長様を招待された時のこと。丹羽社長と専務のやりとりを見ていた代理店の各社長様が、いろんな見方をされて、その何人かの声が、丹羽社長の耳に入った。普通なら「誤解のないように私の思いはこうでした」と自分の考えを理解してもらうように努めると思うのだが、

さすがに一流企業の社長は処し方が違う。閉会の挨拶で、

「同じ場所で同じ光景を見てもその受け止め方は皆様それぞれに違うと言うことを教えて頂きました。誠にありがとうございました」

  たったそれだけのことだが、これが大変なことで、人はだれでも自分の思いをそのまま相手に分かってほしいと思う。分かってくれるものと思う。それが間違いで、人の心は千差万別。人それぞれの心にふさわしい受け止め方しかしてくれないのだ。いくら真剣に訴えてもこちらの思いとは全く逆の受け止め方しかしてくれないことだってある。

  それまで生真面目に自分の思いを相手に分かってほしいと懸命に訴えていた自縛から開放されて、他人に対して大らかさが自分の体から感じられるようになったのは忘れられない喜びであった。

  私の知る丹羽社長の唯一のエピソードは、

私が勤めていた会社が毎年、年の初めに数百人は入れるキャバレーを借り切って、仕入れ先とお得意先を招待して新年の交換会を行っていた。ある年、弊社の社長が挨拶の後、まことに粗酒粗肴に粗女ではございますが、と決まり文句に粗女を付け加えた。その後に来賓として挨拶に立たれた丹羽社長は一言、

  「今の租女は良かった。これを聞いただけで今日ここに来て良かった。おわり」

  挨拶は短く、その人らしくの極意だろう。

  グループ会社では社員のリストラ旋風が吹き荒れたが、丹羽社長が育てた会社はそんな動揺もなく良い会社で有り続けているのは、歴代の社長がその思想を忠実に実行している証だと私は思っている。
 
第159号 グループ旅行
2003-10-01
  高校の同級生八人で北海道の函館、札幌、小樽を旅してきた。このグルーブは四季折々に集まっては友情を温め、年に一度の旅行もほとんど毎年欠かさずに楽しんできた。一昨年は還暦の記念にと富士山にも登った。皆それぞれに第二の人生を歩みはじめた仲間である。

  定年後、現役の経験を活かして会社を起こし商売をはじめた者。ボランティアをしながら趣味のソフトボールに熱中している元気な者もいれば、現役バリバリで高圧受電の保守点検に回っている者。パートでのんびり暇つぶしを兼ねて小遣い稼ぎをしている者と様々だが、ユニークなのは娘さんのケーキ作りの腕を活かした開店した喫茶店のマスターにおさまったのがいる。技術屋の現役の頃には到底考えられなかった商売気を発揮して愛嬢の作ったケーキを客に勧めている。これには思わず笑ってしまった(失礼)がその変身ぶりは正に驚きである。

  不況の中、悪戦苦闘している私から見るとそれぞれにうらやましい連中である。それが「集まるぞ」 「旅行するぞ」となるとその世話役は大抵私に回ってくる。添乗員にカメラマン、会計処理と忙しいが、誰からも一度としてクレームがついたことがない。それがこの連中の人柄で、付き合いの長続きしている要因でもある。

  当初は数人の仲間であったのだが、定年退職を期に郷里に帰って来たのが加わったりして十人程になった。北海道旅行には三人が所用で行けなかったが、千葉で奥様の里に家を構えて住んでいるのが是非にと羽田から合流。

  六月に梅雨のない北海道を選んだはずだが、今年は異常気象か。四国の梅雨明けも七月の終わりになるし、北海道も連日の雨の報道に心配したが、そこはさすがに真面目な団体さんである。羊蹄山も姿を見せて歓迎してくれた。これまでに何度か北海道は訪ねたが、羊蹄山の勇姿を見たのは一度だけであっただけに感激である。

  函館市内から立待岬の直ぐ手前にある石川啄木の墓では、津軽海峡が広がる雄大な景色に、この地をこよなく愛したと言う啄木の思いが伝わってくるようであった。函館山からの夜景は我がカメラにも絵葉書通りの映像が収まっている。昼食に運転手さんの推薦してくれたラーメン店が後日名物店として全国テレビに映し出されたのには驚いた。函館戦争の五稜郭、そして土方歳三の最期の石碑に明治維新の歴史の重さを思う。

  函館からジャンボタクシーは北上、長万部の駅前で蟹飯を食べて駅をバックに記念撮影。

洞爺湖では噴火の後の自然の猛威が生々しく残る中、なお、その地を離れる事なく生活を続けているたくましい人々がいた。

  北海道らしい広大な田園地帯を延々と走って中山峠を過ぎると札幌。ススキノは日本を代表する歓楽街。恐ろしいぼったくりが横行している店が多くあると聞く。幸い以前にひょんなことから馴染みになったスナックがあって、本来なら休みの土曜日にママさんにご出勤願って、借り切りでしかも低料金で飲んで歌ってススキノの夜を満喫。ついでに寄ったラーメン横丁の味はいまひとつ。

  小樽運河は情緒ある私好みの場所なのだが野郎七人と歩くところではない。寿司屋街は味、料金共に全くの期待外れであった。

  さて、来年は鹿児島とすでに決めているが、全員が元気で長くこのグルーブ旅行が続くことを願っている。
 
第158号 45年ぶりの「エリーゼのために」
2003-07-01
  あれは確か銀座のデパート松屋であった。

  高校の修学旅行で行った東京で、自由行動の時間に初めて銀座を歩いた時である。物珍しくデパートに入った。エスカレーターで二,三階に上がったところで上からピアノの演奏が聞こえてきた。誰かが「エリーゼのために」を弾いている。聞こえてくる方に向かって上がって行くと、楽器売場のピアノを足がぺタルにとどきかねている少年が弾いていた。器用に動く指に感心しながら、うらやましく眺めていた。その少年はやめることなく繰り返し弾いていた。

  近年東京へ出張する機会が出来て何度か、なつかしい思いで松屋へ入ってみたが、楽器売場は見当たらない。時代の要求で、デパートの売場も変わってきたのか。売場で自由にピアノを弾かすそんな余裕もなくなったのか。時代の流れとは言え一抹のさびしさを覚える。

  修学旅行は昭和三十三年三月末、テレビが普及し始めた頃である。東京タワーの建設が始まって四本の基礎部分が姿を見せていた。その当時の周辺がどうであったか記憶にはないが、そのほんの基礎部分だけでも遠くから見えていた。

  最近の日本は失われた十年と言われるこの不況の最中にも、東京だけは別世界のように超高層ビルが競いあうように建っていく。

  高さ三百三十三メートルものタワーから出る電波が周辺に出来たビルに遮られてしまう。

  四十数年の変貌は驚きを超えて恐怖さえ感じる。タワーも常に都心を見下ろしてきたのに、いつの間にかどちらを向いても同じ目線の高さにビルがある。さぞかし戸惑っていることだろう。

  今年はテレビ放送開始五十周年でなつかしい回想番組が放映されているが、モノクロからカラーへ。そしてその色もより鮮明に、より自然に進歩はしてきているが、思いの外、進まなかったのが薄型化である。旅行の引率の電気課の先生から「テレビはやがて壁に掛けられるようになる」と教えられてから半世紀近くたって、やっとプラズマと言う薄型テレビが発売されたが、価格、性能的にまだまだ問題があるようだ。

  ブラウン管に当てる電子の偏向角度が大きくなれば奥行は短くて済む。理屈は簡単なのだが、その技術は簡単にはいかなかったようだ。液晶と言う新しい商品が開発されてそれに変わっていくのか、夭折された先生は草葉の陰でなんとおっしゃられているだろうか。

  テレビの申し子のように言われた双子の歌手ザ・ピーナッツ。連日画面に華やかに登場していたが、その中の一曲「情熱の花」はエリーゼのためにをアレンジしたもの。当時批判もあったようだが私は好きであった。

  楽器売場の少年の強烈な印象から四十五年、今年やっと「エリーゼのために」が弾けるようになった。

  楽譜が読めない私にはどうしてもミレミレミシレドラよりもジョウネツノハナとメロディーが頭に浮かんでいる。黒鍵の間に入りきらない太い指、その指が思い通りに動かないじれったさ。そんな才能の無さはすべて年のせいにして、遅々として進まない練習の成果にも焦ることなく頑張っている。

  「他人に聞かせるようになるにはちょっと時間が足りない」と言ったら若いピアノの先生は笑っていた。
 
第157号 名刺
2003-04-01
  名刺ホルダーを整理している時に、仕入れ先のメーカーから電話が入る。同じメーカーであっても商品によって窓口が異なる。その電話は普段取引のない部署であったので、用件を社員に聞かせて、私は電話に出なかった。
  「帰られたら電話下さい」のメモの最後に覚えのある名前が書いてある。開いていた名刺ホルダーで確認すると、十数年前の弊社担当のモーター営業マンである。慌てて電話をすると懐かしい声が聞こえてくる。
  弊社の担当を離れるとすぐにモーターから食品機器担当に変わって、東京で勤務をされていたが、この度四国の総責任者として帰って来られたと言う。
  いつも感心することだが、一流企業の営業マンは担当商品が変わっても、それを簡単にこなして仕事が出来る。これが一流企業の社員たる所以か。
  早速、坂出から高松まで車を走らせて合いに行く。お互いに頬の肉は増えたようだが、変わりない姿に安堵して近況を報告しあった。
  希望退職、リストラ旋風が吹き荒れた中でも、仕事が出来る人にはなんの影響もなかったようだ。
  その当時、私は弊社のモーター担当者としてお世話になり、縫製用のモーターは弊社の売上の主力商品でもあった。
  お得意先を招待して、北海道へ、沖縄へと行けたのだが、この業界はいち早く生産拠点を人件費の安い海外に移して、今では国内は壊滅状態、現在の売上は限りなくゼロに近い。長引く日本経済の不況の要因である。
 
  不況といえば大阪でお世話になった会社の当時の営業責任者であった方が独立されて、難波で二十年余り商売をされていたが、お気の毒に近年自己破産された。十年ほど前に挨拶に伺ったときの名刺は今はさみしそうにホルダーの片隅にある。
  輝いた人生を送られている人は名刺も輝いて見える。
  私がこの業界に入った当初に、一緒に得意先回りをしてくれたメーカーの若い主任さん。体格も良く豪快な人であった。
  「どんな時も、どんな場所ででも決して隅っこにはおるな、目立つところに居ろ」
  「親から常にこう言われてまんねん」
  と豪快に笑った。その姿は誠に大きく見えた。間もなく近郊の営業所の課長に栄転されたが、後々までなにかとお気遣い頂いた。
 
  私が香川に帰って何年か経って、ある商品の説明会で来県されて再会、出された名刺にはその商品の事業部長の肩書き、そして取締役になって九州の営業統括。関連会社の社長を経て現在は本社の名誉顧問。
「栴檀は双葉より芳し」を実感させてくれた人である。
  三人三様の人生が名刺からうかがえるが、これまでに頂いた名刺を収めるのに、A4判で厚さ五十ミリの名刺ホルダー三冊にもなった。その中で名刺を見て顔が浮かんでくるのは極わずか、ほとんどがほんの瞬間の出会いであった人達ではあるが、それでも捨て切れないでいる。
  名刺に思わず頭を下げたくなる人、中には破り捨てたい人のもあるが、皆それぞれに今日の私を育ててくれた人達。一枚一枚に感謝をしながら、私の名刺もどこかで大切にされていることを願う。
 
第156号 ガーデニング
2003-01-01
  三時間の生放送、リハーサルを入れると数時間。テレビカメラの前で座っているのは疲れる。もっとも自分の姿がテレビに映ったのは、ほんの二、三分間。
  NHK・BS2で「わたしのアイデアガーデニングコンテスト2002」の番組で、全国の応募の中から二十五組が選ばれたが、なんとその中に家内が応募していたわが家の庭が四国では唯一入ってしまった。選ばれたのは当初は二十七組だったそうだが、一人は辞退され、もう一人はプロで失格になったようだ。
  家内が退職後、四年ほど前から、それまで母が季節の野菜を植えていた菜園を花畑にして最近ブームのガーデニングを始めた。私はただ、頼まれるままに、バラのアーチやラティスの取りつけ、角パイプで藤棚やぶどう棚を作ったり、重さ百キロ余りの大理石を十二、三個ほど並べてテラスにしたり、これらはガーデニングよりも私の趣味の世界であったのだが、取材に来られたNHKの方がえらく感心されて、私もテレビに引っ張り出されてしまった。
 
  六月十五日に取材に来られて放送日は十月十四日の午後一時から四時まで。
  二十五組の内訳は、ワンポイント部門が五組、五坪以内のミニガーデン部門が八組、五坪以上無制限のガーデン部門が十二組。ガーデン部門の中には千五百坪の広大な庭を造っている人もいた。わが家は庭だけの面積はせいぜい二百坪程度。もっとも広ければ良いと言う訳ではないが、審査は芸術点、技術点、生活点について採点されたようだが、その基準は分からない。
 
  残念ながら賞には入らなかったが、貴重な体験をさせてもらった。
  スタジオには首都圏から募集した百人のガーデニング愛好家に、二十五組の応援団が三十人余り。審査員はゲストの伍代夏子さんを入れて六人。それに放送スタッフ。テレビカメラが数台。総勢二百人余りの人達を前にして一段高いひな壇に、ガーデン風の窮屈な椅子に座らされる。これは緊張する。
  上がり症のの私には耐え難い場所ではあったが、それでも馬齢を重ねたお陰か、比較的落ち着いて座っている自分が不思議でもあった。
  番組の進行は俳優の小西博之氏とNHK兼清麻美アナウンサー。
  ワンポイント部門から二組ずつ取材テープを流して本人にインタビュー。審査員が講評をする。この繰り返しで三時間。
  エントリーナンバー二十三のわが家は最後から二番目。
  わが家の庭が全国放送のテレビに映し出されている。
  「坂東さんのお宅は三種類の庭が楽しめる。一つはバラ園、そしてイングリッシュガーデンをイメージしたベンチのあるミニ公園。もう一つは日本庭園・・・」
  アナウンサーのナレーションは見事で、その時、私にはふと自分の歩んできた日々が浮かんでいた。
  戦時中に母親の里に疎開して終戦。貧しさの中、子供心に家への強いあこがれをもって育った。そしてサラリーマンの生活の中から家内の協力を得て、少しずつ土地を買い足し、家を建てやっと庭を楽しめるようになった。
 
  今回、NHKのテレビに出演出来たのは一歩一歩築いてきた、わが家の集大成であったかも知れない。
 

第191号  灰になるために生まれてきたんじゃない

第191号  灰になるために生まれてきたんじゃない
 
灰になるために生まれてきたんじゃない

出来たばかりのコンクリート舗装の路上に白い大きな犬の死体が横たわっていた。

開通間もない国道十一号。現在は県道三十三号になっているが、私が高校に通っている三年間に工事が進められて、出来上がった真新しい路面に無残な姿があった。最近では路上に死んでいる犬猫を見るのは珍しくもなくなったが、半世紀も前の光景が強烈に脳裏に残っている。今も通勤時に通る道である。

悲惨な交通事故死は人間も同様で悲しむべきことであるが、その犬猫の命が不慮の死ではなく、まるで売れ残ったコンビニの弁当のように処分されていると聞くと人間のおぞましさに恐怖感を覚える。

それは連日報道される幼児虐待、いじめ、陰惨な殺人事件等殺伐とした世相に現れているようにも思える。

知人が「小さな命の写真展」として、保険所等で殺処分される前の犬猫の表情を写した写真展を常盤街商店街、ホームセンター、駅構内、市役所等々で開催している。

この命、灰になるために生まれてきたんじゃない。全国で一日に約一千頭の犬猫が二酸化炭素に依って殺処分されている。香川県は人口当たりの殺処分数は全国ワースト五位だそうだ。その費用は全国で二十四億円と聞くこれ全て税金で賄われている。

人の癒しの為に、命の尊さを共有する筈のペットが心ない一部の人と思いたいが、無責任に捨てられ殺される。

写真展の会場で売られていた児童書のノンフィクション作家、今西乃子著「犬たちを送る日」の冒頭の部分を要約して紹介したい。

一九七八年、野犬の撲滅対策として、ある県での犬の買い上げ制度を設けたときのことである。

犬を保険所に持ち込んだ県民には一頭五百円の報酬を出す。

そこに小学生三人が七匹の子犬を持ち込んだ。

「すみません、これ買うてくれるんですか?」

「これ?どうしたいん?」

「犬、一匹ここに持ってくれば、五百円くれるって聞いたけん。七匹で三千五百円やけんね。お金くれん?」

当時の三千五百円といえば、かなりの高額である。

「そのお金、何につかうんや?」

「プラモデルじゃけん!欲しいプラモデルがあるで、それ買いたいんや!はようお金ください」

「君らが連れてきた子犬、ここに来てどうなるか知っとるか?」

「・・・?」

「あのな、ここに連れてこられた犬は、みんなあと数日で殺されてしまうんや。この子犬もそうじゃけん。みんな殺されてしまうんやで。それでもええんか?」

「かまわんけん!はようお金ください!はよう行かんと、プラモデルやさん、閉まってしまうけん」

 親が教えたのだ。

「そんなに小遣いがほしかったら、野良犬の子犬を見つけて保険所へ持って行け」と。 

 命を金に換え、そのお金で自分たちの欲しいものを手に入れようとする少年達、それを容認する大人達がたまらなく悲しく思えた。

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