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第146号 花の縁
2000-07-01
  初めて社員二十余名全員集まって我が家で花見の宴を催す。
  何年も前から考えてはいたのだが、何分にも花の日にちが限られているから実行に移せずにいた。今年はなんとか諸行事をやりくりして実現する。やや遅れ気味ではあったが、花の雰囲気は味わってもらえたと思う。
  二十年前、息子が小学校入学記念に、一メートルほどの桜の木を植えた。品種はソメイヨシノ。
  場所は当時の玄関の正面である。木の下には芝を張ってここで花見が出来たら楽しいだろうと、なんとなく夢みたいに思っていたが、木の成長は速い。今では根元の幹回りは一メートル半にもなり、高さも二階の屋根よりも高くなって家を見下ろす大木になった。
  庭に桜の花が咲いたらきれいだろうと、ただそれだけの幼い思いで植えたのだが、屋敷に桜がある家はあまり見かけない。聞くところによると、ぱっと散ってしまうから縁起が良くないのだそうだ。なるほど…。
  それでも良いではないか。一瞬でもあれだけ輝ける時がもてれば悔いはない。それに縁起が悪いと感じた人に忘れていることがある。それは毎年必ずその季節に花が咲くということである。一生に一度きりしか咲かないのではない。それに季節に応じたその対応の仕方は人に生き方を教えているようでさえある。
  春の陽光を感じると一気に花を咲かせ、暑い日差しを若葉に受けて目いっぱいに成長する。日差しが弱くなると葉を落として寒さに備える。季節の変化を敏感にとらえた処し方は見事ではないか。
  我が家の桜もその豊かな葉っぱで夏の炎天下、強烈な西日も遮ってくれている。ただ桜の下にある日光を好む芝生にはいささか迷惑のようで、桜の成長とともに発育不全気味になってきた。
  二十年の歳月にふさわしい成長をしてきた桜を見上げる度に、うらやましく感じるのは我が心の成長のなさの嘆きだろうか。
  玄関脇で言わば表に位置した場所にあったのが、一昨年から玄関が東に移動してこの桜の木が裏庭の存在になった。しかし、花は変わりなく咲いている。当たり前のことだが、その変貌をどんなに感じているのか、聞いてみたい気もする。
  ぱっと散る花にもう一つ、性懲りもなく今度はぶら下がりの花が加わりそうだ。
  数年前に退職した家内が今はやりのガーデニングに凝っている。以前は母が季節の野菜を植えていた数十坪の畑を花畑に変えて楽しんでいる。その片隅になんと藤棚を作ると言い出した。
  太い台木に接ぎ木をしてすでに花が二、三房ついているのを植木屋に植えてもらった。そこから棚を作るのは私の仕事。
  ゴールデンウィークの格好の時間潰しで、息子にも手伝わせて鉄の角パイプで四畳半ほどの頑丈な棚が出来上がる。何年かすれば、藤棚の下でお茶会でもする気らしい。
  そのころにはなんとか世間様にぶら下がって辛うじて人生を送っているのだろうか。
  我が家で花見が出来て、藤棚の下でお茶を頂いて。
  ささやかな幸せとはこんなことを言うのだろう。
  社員の花見も毎年の年中行事として、親睦が図られお互いに心が通い合えば必ず会社にも立派な花が咲くだろう。
 
第145号 写真
2000-04-01
  楽しそうな親子のスナップ写真。そのバックに「カトリック さゆりようちえん」の垂れ幕が写っている。この一枚の写真のお陰で七五三の貴重な記念写真が無事にその親子さんにかえっていった。

  「ほんものの京都」と銘打って、松下電器産業(株)の代理店の親睦会で、普段見られない京都を鑑賞しようと、東寺から銀閣寺、平安神宮もすべて建物の中から庭の奥まで説明を受けながら見学して、しにせの精進料理、豆乳を沸かしながら湯葉の出来るのを待ちかねてすくいあげて頂く湯葉懐石、夜には舞妓さんに 芸者さんも呼んで華やかな宴会を楽しむ贅沢な旅行があった。その時にいささかぼけていたのか、帰ってフィルムを現像すると、平安神宮で時代蔡に使われる総 額六十余億円にもなる豪華な衣装の一部、時価三千万円の鎧、八百万円の十二単衣を写したネガがない。
  尚美館(貴賓館)でフィルムを入れ替えた時に撮り終えたフィルムをポケットに入れるのを忘れたらしい。
  あわてて、平安神宮に電話をする。「社務所に撮り終えたフィルムが一本届いております」
  それだ!
  しかし、紛失した日にちと社務所に届けられた日が一日ずれているし、メーカーも枚数もいつも使っているのとは全く違う。
  それでもなんとかそれであってほしいと無理に自分に言い聞かせて、とにかく送ってもらうようにお願いする。
  冷静に考えれば、尚美館で撮り終えてカメラから出したフィルムには、尚美館へ行くまでの見事な紅葉の庭も写っていて無くしてはいなかったのだ。なのになぜシャッターを切ったはずの写真がないのか。
  私はどんな旅行にでも自前のカメラは必ず持って行く。カメラが趣味とは言い難いが、記念と日記代わりにアルバムできちんと整理をしている。
  今回は松下電器様が気を利かせて、インスタントカメラを全員に配ってくれていた。そこで自分のフィルムが終わったものだから、その渡されていたカメラで撮っていたのだ。後日、焼き増しして届けてくれた写真の中にばっちりと写っている。
  平安神宮から送られてきたフィルムはすでに他人様のものとは分かっていた。そのまま送り返すべきかどうか迷いはしたが、出来れば写っている人に直接送ってあげた方が良いのではないかと現像に出してみる。
  平安神宮での七五三のお参りの姿が写っている。幸せな家族の様子が伝わってくる。
  これはどうしてもこの人に送ってあげなければいけない。なにか手がかりはないかとよく見ていると、ネガの最初の一枚に「さゆりようちえん」と読めるのがあった。これは近畿圏の幼稚園に違いないと電話局でその名前を調べてもらうと簡単に所在地がわかった。
  幼稚園に電話を入れると最初はけげんそうに用心深く応対していた事務員さんも、事情が分かってくると親切にファックス番号も教えてくれる。写真の何枚かをファックスに入れる。その主はやはりそこの園児であった。
 
  「神宮内を大分捜したのですが 、見つからずあきらめていましたのに」
 
  珍しいお菓子を添えて礼状が届く。
  あの時の、私の錯覚と思い込みが一本のフィルムを救ったようで、ほっとした喜びがあった。その写真の一枚をプリントした年賀状が届いた。
 
第144号 日の丸
2000-01-01
  家相が良くないからと昨年、玄関の位置を西から東に変えた。
  元の玄関では鉄柱に手製でパイプ受けをつくって国旗の掲揚用にしていたのだが、新しい玄関では国旗を掲げる場所が定まらず、国旗はしまわれたままになっている。
  家庭用の国旗で以前に町の斡旋で購入したと記憶している。
  国家国旗法が制定されたからでもないが、やはり祝日には、国旗を掲げた方が祝日らしい気分になれる。
  そんな単純な動機で国旗を扱うと、それを崇拝する人からも、絶対反対の立場をとる人からもお叱りを受けそうだが、私は単純に万国旗からの中でも日の丸は世界に誇るデザインだと思っている。
  純白の中に太陽をかたどった丸い赤。
  それが円満な心の中に情熱を燃やしているように見えるのか、戦争に利用されて多くの命を奪った危険な赤と感じるかは、その人の心の問題だろう。
  どちらが正しいのか、それはわからない。ただ、いつまでも戦争の悪夢にしがみ付いて、戦場の経験のない人までが、日の丸に戦争を連想して憎悪している人たちは、どう善意に見ても不幸な人たちであるかは確かなようだ。
  日の丸が憎いのではなくて、それを国に、政府に置き換えて見ているから許せないのだろう。
  だが、国とか、政府は小さな単位で言えばそれは家庭であり親であろう。自分の家庭や親を憎んでいて幸せな人はいない。
  敗戦から半世紀以上が過ぎても、日本人ならだれもがなんらかの戦争の傷は受けている。戦争を憎む気持ちはだれにもある。決してくり返してはならないこともみんな知っている。だからと言って日の丸を否定すれば戦争が阻止されるわけではないだろう。
  先般ある教育長が、「国家を生徒が歌わない自由はない」と、言っただけで大問題になった。
  そんなことを問題にした先生に教わっている生徒こそ不幸だと思うのは不謹慎なのだろうか。
  つい最近まで「君が代」の君は天皇陛下のことを言っていると教えられたように記憶していて、そこになにかひっかかるものがあったが、君は私、国民のことで、元は古今和歌集の長寿祝福の歌であると知って心が晴れた思いがした。
  日の丸も君が代も否定する自由はあるかも知れない。それで幸せと感じる人はそれでもいいけれど、戦争だけにこだわって心を閉ざしていては、豊かな人生は望めない。
  掲げた日の丸に永久の平和を誓うことだって出来る。
  丸い心にたぎる情熱。それはオリンピックの表彰台に揚がる日章旗のあの感動が象徴している。
  ぎすぎすした反対の運動の報道を見開きする度に心が曇る。
  国民一人ひとりが広い視野と豊かな感受性で、国家も国旗も受け止められる日が一日も早く来ることを願う。それが平和と繁栄へ続く道だと信じたい。
  新しくなった玄関に、なんとか格好の良い場所を定めて正月には気持ちよく日の丸を掲げよう。
 
第143号 命
1999-10-01
  その夜、湯船に浸りながらしみじみと体をなでていた。
  あの時、側溝をふたした鉄板がなかったら。
  あの時、ブレーキを踏んだ途端に車が横滑りしていたら。
 
命はなかった。
  全身打撲の無残な死体でひつぎの中に安置されたわが身を思った。
  今ごろ家族や社員がどうしているだろう。
  自分の体をこれほどいとおしく眺めたことはなかった。
  府中湖の東を南北に走る県道は、大型トラックがやっとすれ違える程の道幅しかない。
  府中ダム建設にともなって山を切り開いて造られた起伏と曲がりの多い道路で、当然追い越し禁止のセンターラインがひかれてある。
  小雨が降っていた。前方にもバックミラーにも車の姿はなく、何気なく走っていた。
  緩やかなカーブを曲がった途端、目の前に大型トラックが突進してくる。追い越し禁止のセンターラインを無視して右側にはみ出し追い越しをしてきたのだ。
  いくらトヨタが誇る衝突安全ボディのクラウンといえども、大型トラックと双方数十キロの速度で正面衝突しては助からないだろう。
  一瞬「ダメだ」と思った。
  次の瞬間道路左側の側溝に鉄板が敷いてあるのが目にはいった。とっさにブレーキをいっぱいに踏んで左にハンドルをきった。ブレーキはほとんどきかずに車は鉄板の上を滑って門柱代わりに立ててあった十センチほどのH型鋼に当たって止まった。
  ルームミラーに大型トラックと追い越された車が並んで走りすぎて行くのが見えた。
  助かった!
その場で降りて見るのが怖かったのか。
ひょひょろと立っていたH型鋼に当たったくらいだから、バンパーが少しへこんだくらいだろうと、車をバックさせて道路に戻り何事もなかったように走り出す。
  異音もしないし、ハンドルに違和感もなかった。
  それでもさすがに気になって少し走ったところで道路脇に止めて恐る恐る前方へ。
  なんどサイドランプは吹っ飛び、ヘッドランプも半分壊れている。バンパーは割れて食い違いフェンダーもへこんでいる。
  これは辛抱できる程度ではない。警察と保険会社に電話して警察に戻る。
 
  「その大型トラックを捜せと言われても無理でしょうな」
 
  現場検証に来た警察官が先に断りを言う。
  こちらもそのトラックを追いかけて行く気は全くなかった。なんとか避けられたと言う安堵感だけがあった。
  新車からやがて二年、すり傷ひとつない車だったが大修理の運命になる。
  自分からぶっつけることはない。免許証ももちろん無事故無違反の金文字。当然自動車保険も自損事故には入っていない。ところが今回は相手とぶつかっていないから、自損事故なのだそうだ。
  生死を分けるのはほんの一瞬の状況の差を実感した。
  土採取のためにダンプカーの出入り用に、側溝に敷いてあった鉄板が緊急避難場所になり、その鉄板上をまっすぐに車を滑らせてくれた、ハイテク技術のアンチロックブレーキシステムが命を救ってくれた。
 
第142号 ぼたんと鯉
1999-07-01
  五月晴れに恵まれた今年のゴールデンウィークだったが、四日の日だけ一日中雨。その雨が上がった五日の早朝、庭の畑の片隅に真紅に咲いた一輪のぼたんを発見。
  数年前に会社へ、見るからに田舎のおばちゃんと言う感じの人が、その苗を売りに来たのを買ったもの。確か北陸だったか遠いところから来たように言っていたが、見かけによらず商売上手で、持ってきた十本程全部色が違うからと買わされてしまった。
  植え方が悪かったのか、土が合わなかったのか、おばちゃんの口上通りには育たず、あちこち何度か植え替えるうちに、ほとんど枯れてようやくようやく二、三本が忘れられたように畑の片隅に残っていた。
  大輪とは言い難いが、精いっぱい存在価値を誇示しているように見える。
  その花を眺めているうちに、ふと、これは錦鯉の精霊ではないかと思えてくる。
  去年、わが家の池で死んだ鯉を、その間近に埋めていた。
  庭に鯉を泳がすのが夢で、ささやかな庭を造ったときに泉水も掘ってもらい、自らも家の裏に一坪余りの池を造って、なんの知識もないまま、何度か、失敗を重ねながらも二十年余り鯉を育ててきた。
  ところが去年、その鯉が全滅した。愛好家の話だと全国的に奇病が流行して、その対策はほとんどなかったのだそうだ。
  わが家の鯉もその奇病にやられたのか、はっきりした原因はわかならないが、ただ愛情不足だったことだけは確かである。
  生きもののちょっとした変化も見逃さない細心の思いやり、そしてその状況に合った対応はまことに難しい。それが出来ないようでは生きものを育てる資格はない。そう反省して池を埋めてしまった。
  その上には松の木を植えて脇に伊予石を添えて多少なりとも供養のつもりではある。
  庭師に造ってもらった泉水も、家の南東に水溜りがあっては家相上非常に悪いのだそうだ。祈祷師が言われることがなんとなく当たっているように思えて、これは築後、数年で水を抜いて枯れ山水にした。
  これが鯉にとっては最初の受難。二ヶ所に居たものを一ヶ所に入れられたのだから窮屈この上ない。近くの池に放しに行ったりもしたが、卵も孵化したり、結構賑やかな池にはなっていた。
  鯉を飼い始めたことは、月に一度はお得意先を訪問のために宇和島まで車で行っていたので、帰り道に何ヶ所かある養鯉場へ寄るのが楽しみでもあった。
  紅白、大正三色、ドイツ黄金、丹頂等池の中の色合いを見ては、次はプラチナを買ってこようと出かけたのがなつかしい。高価なものには当然手が届かなかったが、それなりに飼っているとかわいいもので、十センチほどの稚魚が一年もすると二倍以上に成長していく。
  多少手を抜いても鯉は育っていく。これは私に合っていると思ったのが大間違い。大変なしっぺがえしをくらってしまった。
  いつの日か、時間と心にゆとりが出来たら今度は池を大きなドーナツ状に造って、水が常に流れている構造にして、そこに生き生きと鯉を泳がせてみたい。その中島にはこのぼたんが毎年花を咲かせてくれる。
  余生の楽しみがひとつ出来たようだ。
 

第191号  灰になるために生まれてきたんじゃない

第191号  灰になるために生まれてきたんじゃない
 
灰になるために生まれてきたんじゃない

出来たばかりのコンクリート舗装の路上に白い大きな犬の死体が横たわっていた。

開通間もない国道十一号。現在は県道三十三号になっているが、私が高校に通っている三年間に工事が進められて、出来上がった真新しい路面に無残な姿があった。最近では路上に死んでいる犬猫を見るのは珍しくもなくなったが、半世紀も前の光景が強烈に脳裏に残っている。今も通勤時に通る道である。

悲惨な交通事故死は人間も同様で悲しむべきことであるが、その犬猫の命が不慮の死ではなく、まるで売れ残ったコンビニの弁当のように処分されていると聞くと人間のおぞましさに恐怖感を覚える。

それは連日報道される幼児虐待、いじめ、陰惨な殺人事件等殺伐とした世相に現れているようにも思える。

知人が「小さな命の写真展」として、保険所等で殺処分される前の犬猫の表情を写した写真展を常盤街商店街、ホームセンター、駅構内、市役所等々で開催している。

この命、灰になるために生まれてきたんじゃない。全国で一日に約一千頭の犬猫が二酸化炭素に依って殺処分されている。香川県は人口当たりの殺処分数は全国ワースト五位だそうだ。その費用は全国で二十四億円と聞くこれ全て税金で賄われている。

人の癒しの為に、命の尊さを共有する筈のペットが心ない一部の人と思いたいが、無責任に捨てられ殺される。

写真展の会場で売られていた児童書のノンフィクション作家、今西乃子著「犬たちを送る日」の冒頭の部分を要約して紹介したい。

一九七八年、野犬の撲滅対策として、ある県での犬の買い上げ制度を設けたときのことである。

犬を保険所に持ち込んだ県民には一頭五百円の報酬を出す。

そこに小学生三人が七匹の子犬を持ち込んだ。

「すみません、これ買うてくれるんですか?」

「これ?どうしたいん?」

「犬、一匹ここに持ってくれば、五百円くれるって聞いたけん。七匹で三千五百円やけんね。お金くれん?」

当時の三千五百円といえば、かなりの高額である。

「そのお金、何につかうんや?」

「プラモデルじゃけん!欲しいプラモデルがあるで、それ買いたいんや!はようお金ください」

「君らが連れてきた子犬、ここに来てどうなるか知っとるか?」

「・・・?」

「あのな、ここに連れてこられた犬は、みんなあと数日で殺されてしまうんや。この子犬もそうじゃけん。みんな殺されてしまうんやで。それでもええんか?」

「かまわんけん!はようお金ください!はよう行かんと、プラモデルやさん、閉まってしまうけん」

 親が教えたのだ。

「そんなに小遣いがほしかったら、野良犬の子犬を見つけて保険所へ持って行け」と。 

 命を金に換え、そのお金で自分たちの欲しいものを手に入れようとする少年達、それを容認する大人達がたまらなく悲しく思えた。

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