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第144号 日の丸
2000-01-01
  家相が良くないからと昨年、玄関の位置を西から東に変えた。
  元の玄関では鉄柱に手製でパイプ受けをつくって国旗の掲揚用にしていたのだが、新しい玄関では国旗を掲げる場所が定まらず、国旗はしまわれたままになっている。
  家庭用の国旗で以前に町の斡旋で購入したと記憶している。
  国家国旗法が制定されたからでもないが、やはり祝日には、国旗を掲げた方が祝日らしい気分になれる。
  そんな単純な動機で国旗を扱うと、それを崇拝する人からも、絶対反対の立場をとる人からもお叱りを受けそうだが、私は単純に万国旗からの中でも日の丸は世界に誇るデザインだと思っている。
  純白の中に太陽をかたどった丸い赤。
  それが円満な心の中に情熱を燃やしているように見えるのか、戦争に利用されて多くの命を奪った危険な赤と感じるかは、その人の心の問題だろう。
  どちらが正しいのか、それはわからない。ただ、いつまでも戦争の悪夢にしがみ付いて、戦場の経験のない人までが、日の丸に戦争を連想して憎悪している人たちは、どう善意に見ても不幸な人たちであるかは確かなようだ。
  日の丸が憎いのではなくて、それを国に、政府に置き換えて見ているから許せないのだろう。
  だが、国とか、政府は小さな単位で言えばそれは家庭であり親であろう。自分の家庭や親を憎んでいて幸せな人はいない。
  敗戦から半世紀以上が過ぎても、日本人ならだれもがなんらかの戦争の傷は受けている。戦争を憎む気持ちはだれにもある。決してくり返してはならないこともみんな知っている。だからと言って日の丸を否定すれば戦争が阻止されるわけではないだろう。
  先般ある教育長が、「国家を生徒が歌わない自由はない」と、言っただけで大問題になった。
  そんなことを問題にした先生に教わっている生徒こそ不幸だと思うのは不謹慎なのだろうか。
  つい最近まで「君が代」の君は天皇陛下のことを言っていると教えられたように記憶していて、そこになにかひっかかるものがあったが、君は私、国民のことで、元は古今和歌集の長寿祝福の歌であると知って心が晴れた思いがした。
  日の丸も君が代も否定する自由はあるかも知れない。それで幸せと感じる人はそれでもいいけれど、戦争だけにこだわって心を閉ざしていては、豊かな人生は望めない。
  掲げた日の丸に永久の平和を誓うことだって出来る。
  丸い心にたぎる情熱。それはオリンピックの表彰台に揚がる日章旗のあの感動が象徴している。
  ぎすぎすした反対の運動の報道を見開きする度に心が曇る。
  国民一人ひとりが広い視野と豊かな感受性で、国家も国旗も受け止められる日が一日も早く来ることを願う。それが平和と繁栄へ続く道だと信じたい。
  新しくなった玄関に、なんとか格好の良い場所を定めて正月には気持ちよく日の丸を掲げよう。
 
第143号 命
1999-10-01
  その夜、湯船に浸りながらしみじみと体をなでていた。
  あの時、側溝をふたした鉄板がなかったら。
  あの時、ブレーキを踏んだ途端に車が横滑りしていたら。
 
命はなかった。
  全身打撲の無残な死体でひつぎの中に安置されたわが身を思った。
  今ごろ家族や社員がどうしているだろう。
  自分の体をこれほどいとおしく眺めたことはなかった。
  府中湖の東を南北に走る県道は、大型トラックがやっとすれ違える程の道幅しかない。
  府中ダム建設にともなって山を切り開いて造られた起伏と曲がりの多い道路で、当然追い越し禁止のセンターラインがひかれてある。
  小雨が降っていた。前方にもバックミラーにも車の姿はなく、何気なく走っていた。
  緩やかなカーブを曲がった途端、目の前に大型トラックが突進してくる。追い越し禁止のセンターラインを無視して右側にはみ出し追い越しをしてきたのだ。
  いくらトヨタが誇る衝突安全ボディのクラウンといえども、大型トラックと双方数十キロの速度で正面衝突しては助からないだろう。
  一瞬「ダメだ」と思った。
  次の瞬間道路左側の側溝に鉄板が敷いてあるのが目にはいった。とっさにブレーキをいっぱいに踏んで左にハンドルをきった。ブレーキはほとんどきかずに車は鉄板の上を滑って門柱代わりに立ててあった十センチほどのH型鋼に当たって止まった。
  ルームミラーに大型トラックと追い越された車が並んで走りすぎて行くのが見えた。
  助かった!
その場で降りて見るのが怖かったのか。
ひょひょろと立っていたH型鋼に当たったくらいだから、バンパーが少しへこんだくらいだろうと、車をバックさせて道路に戻り何事もなかったように走り出す。
  異音もしないし、ハンドルに違和感もなかった。
  それでもさすがに気になって少し走ったところで道路脇に止めて恐る恐る前方へ。
  なんどサイドランプは吹っ飛び、ヘッドランプも半分壊れている。バンパーは割れて食い違いフェンダーもへこんでいる。
  これは辛抱できる程度ではない。警察と保険会社に電話して警察に戻る。
 
  「その大型トラックを捜せと言われても無理でしょうな」
 
  現場検証に来た警察官が先に断りを言う。
  こちらもそのトラックを追いかけて行く気は全くなかった。なんとか避けられたと言う安堵感だけがあった。
  新車からやがて二年、すり傷ひとつない車だったが大修理の運命になる。
  自分からぶっつけることはない。免許証ももちろん無事故無違反の金文字。当然自動車保険も自損事故には入っていない。ところが今回は相手とぶつかっていないから、自損事故なのだそうだ。
  生死を分けるのはほんの一瞬の状況の差を実感した。
  土採取のためにダンプカーの出入り用に、側溝に敷いてあった鉄板が緊急避難場所になり、その鉄板上をまっすぐに車を滑らせてくれた、ハイテク技術のアンチロックブレーキシステムが命を救ってくれた。
 
第142号 ぼたんと鯉
1999-07-01
  五月晴れに恵まれた今年のゴールデンウィークだったが、四日の日だけ一日中雨。その雨が上がった五日の早朝、庭の畑の片隅に真紅に咲いた一輪のぼたんを発見。
  数年前に会社へ、見るからに田舎のおばちゃんと言う感じの人が、その苗を売りに来たのを買ったもの。確か北陸だったか遠いところから来たように言っていたが、見かけによらず商売上手で、持ってきた十本程全部色が違うからと買わされてしまった。
  植え方が悪かったのか、土が合わなかったのか、おばちゃんの口上通りには育たず、あちこち何度か植え替えるうちに、ほとんど枯れてようやくようやく二、三本が忘れられたように畑の片隅に残っていた。
  大輪とは言い難いが、精いっぱい存在価値を誇示しているように見える。
  その花を眺めているうちに、ふと、これは錦鯉の精霊ではないかと思えてくる。
  去年、わが家の池で死んだ鯉を、その間近に埋めていた。
  庭に鯉を泳がすのが夢で、ささやかな庭を造ったときに泉水も掘ってもらい、自らも家の裏に一坪余りの池を造って、なんの知識もないまま、何度か、失敗を重ねながらも二十年余り鯉を育ててきた。
  ところが去年、その鯉が全滅した。愛好家の話だと全国的に奇病が流行して、その対策はほとんどなかったのだそうだ。
  わが家の鯉もその奇病にやられたのか、はっきりした原因はわかならないが、ただ愛情不足だったことだけは確かである。
  生きもののちょっとした変化も見逃さない細心の思いやり、そしてその状況に合った対応はまことに難しい。それが出来ないようでは生きものを育てる資格はない。そう反省して池を埋めてしまった。
  その上には松の木を植えて脇に伊予石を添えて多少なりとも供養のつもりではある。
  庭師に造ってもらった泉水も、家の南東に水溜りがあっては家相上非常に悪いのだそうだ。祈祷師が言われることがなんとなく当たっているように思えて、これは築後、数年で水を抜いて枯れ山水にした。
  これが鯉にとっては最初の受難。二ヶ所に居たものを一ヶ所に入れられたのだから窮屈この上ない。近くの池に放しに行ったりもしたが、卵も孵化したり、結構賑やかな池にはなっていた。
  鯉を飼い始めたことは、月に一度はお得意先を訪問のために宇和島まで車で行っていたので、帰り道に何ヶ所かある養鯉場へ寄るのが楽しみでもあった。
  紅白、大正三色、ドイツ黄金、丹頂等池の中の色合いを見ては、次はプラチナを買ってこようと出かけたのがなつかしい。高価なものには当然手が届かなかったが、それなりに飼っているとかわいいもので、十センチほどの稚魚が一年もすると二倍以上に成長していく。
  多少手を抜いても鯉は育っていく。これは私に合っていると思ったのが大間違い。大変なしっぺがえしをくらってしまった。
  いつの日か、時間と心にゆとりが出来たら今度は池を大きなドーナツ状に造って、水が常に流れている構造にして、そこに生き生きと鯉を泳がせてみたい。その中島にはこのぼたんが毎年花を咲かせてくれる。
  余生の楽しみがひとつ出来たようだ。
 
第141号 報道
1999-04-01
  園児の口をガムテープでふさぎ手足を縛って無理やり昼寝をさせた保母さんの記事が新聞に載った。
  なんとむごいことをする。保育園の質もそこまで落ちたかと、一瞬がく然とした気持ちになる。
  それが日常的に行われていたのか、普段の子供の様子がどうだったのか、状況を知らない読者には、そんな記事を読むとだれもが、薄情な保母と感じてしまう。
  しかしその保母さんは、もしかすると熱心に子供のことを思っての行為だったのかも知れないのだ。
  親から全くしつけをうけていない幼児は、まず保母さんの言うことは聞かないだろう。
  昼寝の時間だって遊びたければ遊ぶ。集団の中ではどうしなければいけないなどという感覚はみじんも身につけていない。
  この記事もそんな子供の馬鹿な親が、抗議か投書かをして明るみになったのだろうと想像するが、残念なのは、保母さんも保育園の責任者も堂々と状況を説明して、教育上の指導的な立場になっていなかった。謝罪と弁明では教育は成り立たない。
  イギリスの劇作家、有名な皮肉屋でもあったバーナード・ショーは、<世に母親ほど重要で立派な職業はない。しかし、その適性試験が行なわれたことはない>
  無資格な母親が無責任に子供を世に送り出すのだから背筋が寒くなる思いもするが、それが、我々の年代では想像もできない「学級崩壊」という形で現実になってきているようだ。
  その解決には、保母、教師、管理職(園長、校長)それぞれにふさわしい活躍をしていただければ、そんなに難しいことではないように思われる。
  有資格者が無責任な親や、うぬぼれのマスコミの人たちに謝罪や弁明をくり返していたのではなんのための資格か。資格が泣いている。
  今、秩序が乱れた世になりかけているとしたら、それを治すのは教育しかない。
  幼児の将来を思う熱意と愛情が強ければ、縛って昼寝させても良いではないか。
  自信と誇りをもって訴えていこう。軽はずみな記事を書いた記者が恥ずかしい思いをする教育界ではなくてはならないのである。
  戦後の急激な社会の変化、これを進歩と言ってきたのにちゅうちょするようになった日本の社会。
  近ごろの若い者はと、世代間の感覚の違いが当然のように言われている。
  しかし、私の会社にも二十歳前後の若者が何人か働いているが、感覚の相違など感じたことはない。振り返って二十歳ごろの私と比較すれば、むしろ尊敬の念を抱きたくなる。
 
  「祖父を病院に送ってから行きますので、遅刻します」
  「祖母が入院して手術をするので、看病の為に欠勤させてください」
  会社にとっては仕事上、まことに迷惑なことではあるが、若い女性社員のそのやさしい心根を思うと、快く許可しないわけには行かない。
  事実をありのままに伝えることは大事だが、その奥にある背景、そしてなによりもより良い世の中にするための配慮、心のこもった報道であってほしい。
 
第140号 瀬戸大橋の後
1999-01-01
  山陰からの社内旅行の帰り、瀬戸大橋を渡る観光バスの車窓から、行き交う船をぼんやり 眺めていた。その視線に突然、五色台の山頂付近に、真っ赤に燃えている部分が飛び込んできた。視線を移してその部分に目を凝らす。まるで京都の大文字の送 り火のように確かに何かが燃えている。
  十一月はじめの午後五時ちょうど、周りはまだまだ明るい。
  それはほんの何秒だったか、次第に色が薄くなりやがてそこには白い建物があった。
  ふっと、我にかえって西を見た。真っ赤な大きな太陽が海上に浮かんでいた。
  それは単に保養センターの建物が夕日を反射していたに過ぎなかったのだが、その角度と時間、微妙なひとときがなにか神秘な世界を通過してきた気分になっていた。
  瀬戸大橋が開通して十年を超えた。世界に誇れる橋なのに残念なことに日本ですらその認知度は極めて低い。
  旅行が好きでその機会にも比較的に恵まれていて各地を訪れる度に、私の会社が大橋から最初のインターチェンジ、坂出北インターの間近に位置しているので、名刺を渡して「瀬戸大橋のたもとです。」と言ってもこれが通じない。
  先日も京都の若い女性に、瀬戸大橋はどこからどこへ架かっているのか、たずねると、しばらく考えた後「えーっと岡山から高知」。
  関西圏でこのありさま。東京から東へ行けば、先ず特別の人を除いて瀬戸大橋の存在はあまり知られていない。
  行政と運営維持管理の機構がどうなっているのか、認知不足で、もの言える立場ではないけれど、橋の有効利用、宣伝活動があまりなされていないのは確かなようだ。
  かつてどこに橋を架けるか、その建設に向けて、香川、徳島、愛媛の三県がしのぎを削ったあのエネルギーの何分の一かは、その利用促進に使ってもらいたいと願う。
  私の記憶では大橋構想が具体化してきた三十数年前の四国は日本の五%経済と言われていた。橋が架かった現在はなんと三%を切っている。
  数字上からは、四国の経済はその間に全国レベルの半分しか成長しなかったことになる。
  高いところから低いところに流れるのは水だけではない。都会のやっかいな産業廃棄物が豊島の住民を泣かせている。
  これは行政の貧困さの象徴そのものだが、著名な弁護士の奉仕的な活動でようやく改善に向けて動きだした。それでもなお知事が謝罪する、しないでもめている。
  日本一小さな県にふさわしくか、狭小な議論をしているからいつまで経ってもらちが明かない。
  この際、日本中の廃棄物を集めて完全に処理できるくらいな設備を建設しようではないか。
  それは立派な国家事業になる。現在の日本の技術と経済力をもってすれば、不可能なことではないだろう。
  処理されたゴミの埋め立てで大きくなった豊島になにをつくろうか。レジャーランド、リゾートホテル、ハイテク工場、大きく夢が広がってくる。
  豊島の汚名を返上して、瀬戸大橋とともに世界に注目される設備の建設を切望したい。
  我が家に瀬戸大橋の起工式に使われたリボンのついたマイクスタンドがある。そのリボンが年とともに輝いて見えてほしい。
 

第191号  灰になるために生まれてきたんじゃない

第191号  灰になるために生まれてきたんじゃない
 
灰になるために生まれてきたんじゃない

出来たばかりのコンクリート舗装の路上に白い大きな犬の死体が横たわっていた。

開通間もない国道十一号。現在は県道三十三号になっているが、私が高校に通っている三年間に工事が進められて、出来上がった真新しい路面に無残な姿があった。最近では路上に死んでいる犬猫を見るのは珍しくもなくなったが、半世紀も前の光景が強烈に脳裏に残っている。今も通勤時に通る道である。

悲惨な交通事故死は人間も同様で悲しむべきことであるが、その犬猫の命が不慮の死ではなく、まるで売れ残ったコンビニの弁当のように処分されていると聞くと人間のおぞましさに恐怖感を覚える。

それは連日報道される幼児虐待、いじめ、陰惨な殺人事件等殺伐とした世相に現れているようにも思える。

知人が「小さな命の写真展」として、保険所等で殺処分される前の犬猫の表情を写した写真展を常盤街商店街、ホームセンター、駅構内、市役所等々で開催している。

この命、灰になるために生まれてきたんじゃない。全国で一日に約一千頭の犬猫が二酸化炭素に依って殺処分されている。香川県は人口当たりの殺処分数は全国ワースト五位だそうだ。その費用は全国で二十四億円と聞くこれ全て税金で賄われている。

人の癒しの為に、命の尊さを共有する筈のペットが心ない一部の人と思いたいが、無責任に捨てられ殺される。

写真展の会場で売られていた児童書のノンフィクション作家、今西乃子著「犬たちを送る日」の冒頭の部分を要約して紹介したい。

一九七八年、野犬の撲滅対策として、ある県での犬の買い上げ制度を設けたときのことである。

犬を保険所に持ち込んだ県民には一頭五百円の報酬を出す。

そこに小学生三人が七匹の子犬を持ち込んだ。

「すみません、これ買うてくれるんですか?」

「これ?どうしたいん?」

「犬、一匹ここに持ってくれば、五百円くれるって聞いたけん。七匹で三千五百円やけんね。お金くれん?」

当時の三千五百円といえば、かなりの高額である。

「そのお金、何につかうんや?」

「プラモデルじゃけん!欲しいプラモデルがあるで、それ買いたいんや!はようお金ください」

「君らが連れてきた子犬、ここに来てどうなるか知っとるか?」

「・・・?」

「あのな、ここに連れてこられた犬は、みんなあと数日で殺されてしまうんや。この子犬もそうじゃけん。みんな殺されてしまうんやで。それでもええんか?」

「かまわんけん!はようお金ください!はよう行かんと、プラモデルやさん、閉まってしまうけん」

 親が教えたのだ。

「そんなに小遣いがほしかったら、野良犬の子犬を見つけて保険所へ持って行け」と。 

 命を金に換え、そのお金で自分たちの欲しいものを手に入れようとする少年達、それを容認する大人達がたまらなく悲しく思えた。

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