エスエヌデー株式会社|電設資材|照明器具|空調機器|住宅設備機器|家電製品|情報機器販売|香川県坂出市

 
 
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第141号 報道
1999-04-01
  園児の口をガムテープでふさぎ手足を縛って無理やり昼寝をさせた保母さんの記事が新聞に載った。
  なんとむごいことをする。保育園の質もそこまで落ちたかと、一瞬がく然とした気持ちになる。
  それが日常的に行われていたのか、普段の子供の様子がどうだったのか、状況を知らない読者には、そんな記事を読むとだれもが、薄情な保母と感じてしまう。
  しかしその保母さんは、もしかすると熱心に子供のことを思っての行為だったのかも知れないのだ。
  親から全くしつけをうけていない幼児は、まず保母さんの言うことは聞かないだろう。
  昼寝の時間だって遊びたければ遊ぶ。集団の中ではどうしなければいけないなどという感覚はみじんも身につけていない。
  この記事もそんな子供の馬鹿な親が、抗議か投書かをして明るみになったのだろうと想像するが、残念なのは、保母さんも保育園の責任者も堂々と状況を説明して、教育上の指導的な立場になっていなかった。謝罪と弁明では教育は成り立たない。
  イギリスの劇作家、有名な皮肉屋でもあったバーナード・ショーは、<世に母親ほど重要で立派な職業はない。しかし、その適性試験が行なわれたことはない>
  無資格な母親が無責任に子供を世に送り出すのだから背筋が寒くなる思いもするが、それが、我々の年代では想像もできない「学級崩壊」という形で現実になってきているようだ。
  その解決には、保母、教師、管理職(園長、校長)それぞれにふさわしい活躍をしていただければ、そんなに難しいことではないように思われる。
  有資格者が無責任な親や、うぬぼれのマスコミの人たちに謝罪や弁明をくり返していたのではなんのための資格か。資格が泣いている。
  今、秩序が乱れた世になりかけているとしたら、それを治すのは教育しかない。
  幼児の将来を思う熱意と愛情が強ければ、縛って昼寝させても良いではないか。
  自信と誇りをもって訴えていこう。軽はずみな記事を書いた記者が恥ずかしい思いをする教育界ではなくてはならないのである。
  戦後の急激な社会の変化、これを進歩と言ってきたのにちゅうちょするようになった日本の社会。
  近ごろの若い者はと、世代間の感覚の違いが当然のように言われている。
  しかし、私の会社にも二十歳前後の若者が何人か働いているが、感覚の相違など感じたことはない。振り返って二十歳ごろの私と比較すれば、むしろ尊敬の念を抱きたくなる。
 
  「祖父を病院に送ってから行きますので、遅刻します」
  「祖母が入院して手術をするので、看病の為に欠勤させてください」
  会社にとっては仕事上、まことに迷惑なことではあるが、若い女性社員のそのやさしい心根を思うと、快く許可しないわけには行かない。
  事実をありのままに伝えることは大事だが、その奥にある背景、そしてなによりもより良い世の中にするための配慮、心のこもった報道であってほしい。
 
第140号 瀬戸大橋の後
1999-01-01
  山陰からの社内旅行の帰り、瀬戸大橋を渡る観光バスの車窓から、行き交う船をぼんやり 眺めていた。その視線に突然、五色台の山頂付近に、真っ赤に燃えている部分が飛び込んできた。視線を移してその部分に目を凝らす。まるで京都の大文字の送 り火のように確かに何かが燃えている。
  十一月はじめの午後五時ちょうど、周りはまだまだ明るい。
  それはほんの何秒だったか、次第に色が薄くなりやがてそこには白い建物があった。
  ふっと、我にかえって西を見た。真っ赤な大きな太陽が海上に浮かんでいた。
  それは単に保養センターの建物が夕日を反射していたに過ぎなかったのだが、その角度と時間、微妙なひとときがなにか神秘な世界を通過してきた気分になっていた。
  瀬戸大橋が開通して十年を超えた。世界に誇れる橋なのに残念なことに日本ですらその認知度は極めて低い。
  旅行が好きでその機会にも比較的に恵まれていて各地を訪れる度に、私の会社が大橋から最初のインターチェンジ、坂出北インターの間近に位置しているので、名刺を渡して「瀬戸大橋のたもとです。」と言ってもこれが通じない。
  先日も京都の若い女性に、瀬戸大橋はどこからどこへ架かっているのか、たずねると、しばらく考えた後「えーっと岡山から高知」。
  関西圏でこのありさま。東京から東へ行けば、先ず特別の人を除いて瀬戸大橋の存在はあまり知られていない。
  行政と運営維持管理の機構がどうなっているのか、認知不足で、もの言える立場ではないけれど、橋の有効利用、宣伝活動があまりなされていないのは確かなようだ。
  かつてどこに橋を架けるか、その建設に向けて、香川、徳島、愛媛の三県がしのぎを削ったあのエネルギーの何分の一かは、その利用促進に使ってもらいたいと願う。
  私の記憶では大橋構想が具体化してきた三十数年前の四国は日本の五%経済と言われていた。橋が架かった現在はなんと三%を切っている。
  数字上からは、四国の経済はその間に全国レベルの半分しか成長しなかったことになる。
  高いところから低いところに流れるのは水だけではない。都会のやっかいな産業廃棄物が豊島の住民を泣かせている。
  これは行政の貧困さの象徴そのものだが、著名な弁護士の奉仕的な活動でようやく改善に向けて動きだした。それでもなお知事が謝罪する、しないでもめている。
  日本一小さな県にふさわしくか、狭小な議論をしているからいつまで経ってもらちが明かない。
  この際、日本中の廃棄物を集めて完全に処理できるくらいな設備を建設しようではないか。
  それは立派な国家事業になる。現在の日本の技術と経済力をもってすれば、不可能なことではないだろう。
  処理されたゴミの埋め立てで大きくなった豊島になにをつくろうか。レジャーランド、リゾートホテル、ハイテク工場、大きく夢が広がってくる。
  豊島の汚名を返上して、瀬戸大橋とともに世界に注目される設備の建設を切望したい。
  我が家に瀬戸大橋の起工式に使われたリボンのついたマイクスタンドがある。そのリボンが年とともに輝いて見えてほしい。
 
第139号 東北夏祭りめぐり
1998-10-01
  ラッセラ-・ラッセラッセラー!
  八月五日、ねぶた祭りの跳人(はねと)の一人として参加しているはずであった。
  メーカーの代理店でつくっている懇親のための会が企画した東北夏祭りめぐり。
  出発の前日近所に不幸があって、その葬儀のために一日キャンセルして、翌日の秋田竿灯祭りから参加。秋田のホテルで一行と合流した途端に、前日のねぶた 祭りの感動を各人それぞれに矢継ぎ早に伝えてくれる。青森から秋田まで一日バスにゆられて、なお興奮さめやらぬ様子である。
  見学だけではなく体験しようと事務局が、衣装、足袋等用意してメーカーのねぶたについて三キロ以上も踊り歩いたそうである。中には多少ご高齢の方、病み 上がりの方もおられたが、全員最後まで歩かれた。その熱意と雰囲気に押されて疲れを感じさせなかったのだろう。
  残念な気持ちがなくもないが、かつて、ねぶたの里を訪れて、あの独特の絵、勇壮なつくりはこの目で確かめていたから、口々に飛び出してくる感激の言葉はよく理解できる。
  昨夜の激しい動のねぶた祭りから、今夜は静の竿灯祭りに。
  長さ十メートルの竹に九本の横竹を結び、四十六個の提灯をつるした重さ五十キロ以上もある竿灯を片手で、額で、腰で支えて立てる。延長八百メートルの大通りの左右に、その数約百九十本が夜空を彩る。中央分離帯の桟敷席でその圧巻に浸る。
  何年か前に、丸亀市の南部に観光バスが出入りできる巨大なさぬきうどんレストランが開店した。その店内にこの竿竹が置かれている。その経営者がどこかの 祭りで見てきて、えらく気に入って設備業者につくらせたのだと聞いていた。ここはちょうちんの中はろうそくでなく電球が点灯するようになっている。これが 難しく、その配慮に苦労してたのを思い出す。なんともかわったものをつくらせるものだと当時は思っていたが、秋田のこの竿灯祭りを目の前にして、その経営 者の気持ちが分かったような気がする。
  あいにく天気予報通りに雨が降り出し、その日の予定は早めに切り上げたようだが、その雰囲気は十分に味わった。
  翌日は角館(かくのだて)の歴史にふれ、田沢湖で前沢牛のバーベキューで昼食をして一日かけて仙台まで移動。
  杜(もり)の都、広瀬川、青葉通り、なんともロマンチックな響きの街。何度か訪れたことはあったが、七夕祭りははじめてである。
  近年、観光行事、市民の憩いのためにはじめられたものと思っていたら、なんと七百年の伝統ある行事であった。
  商店街のアーケードの豪華な竹飾り。それぞれの店が趣向を凝らし、手間をかけてつくったのであろう、その飾りに金、銀、銅賞、優秀賞等選ばれていた。そ して踊りやパレードも繰り広げられるようであったが、残念ながら時間がなく飾られた商店街を歩いてきただけだったが、祭りにかけるエネルギーは強く感じら れる。
 
  東北の夏祭り。四国に住む我々からすれば、ややもすれば片田舎の祭りのようにとらえがちだが、行って見れば四国よりもはるかに都会で、その祭りには全国 から人が押し寄せてくる。一合まいたの高松祭りを思うとき、なんともさみしく、うらやましい東北夏祭り紀行であった。
 
第138号 大阪北漫歩
1998-07-01
「阪急東通り商店街」

  大阪に少しでも関係のある人なら必ず知っている北の繁華街。南の心斎橋筋。戎橋筋とは違って、物を売る商店らしきものはほとんどない。そこがなぜ商店街と言われるのか、私には今もって疑問だが。
  そこを何十年ぶりか、夜一人で歩いてきた。付近の建物が新しくなり、千里方面から入ってくる新御堂筋の道路で寸断されて、随分雰囲気は変わったようだが、賑わいは昔のままだ。
  街の大半が喫茶店で、そこを隈なく回ろうと、せっせと通った時期があった。つい最近、物置からその記念?のマッチが菓子箱一杯出てきた。その喫茶店も多くがパチンコ店に侵食されて静かな語らいの部屋が、金属音の中で小さな玉を追う孤独な輩が集まる場所になっているのはいささか残念な気がするが、これも世 相の反映か。

  新御堂筋を横断してずっと東へ行くと段々と怪しげな雰囲気になってくる。中年の美女がいつの間にか腕を組んできた。
 
「かわいい子がいるのよ」
 
「かわいい子より、あんたの方が美人でいいぞ」
  適当にはぐらかせながら、マイペースで歩いて行く。
  三十年も前の思い出を手繰り寄せながら、感慨深げに歩いていたつもりだったが、この女には男の欲望を満たしに、夜の街をほっつき歩いているようにしか見えなかったのだろう。確かこのあたりに有名なナイトクラブがあった。専属バンドも一流で、現在タレントとしても活躍されている浪花のモーツァルトと呼ばれている人も、そのバンドのピアニストであった。
  ある先輩が、青春の悩みを抱えて、清水の舞台から飛び降りたつもりの、大金をはたいてそのナイトクラブへ入った。そこで付いてくれたホステスさんが、その悩みを優しく解きほぐしてくれて気分晴れ晴れ、人生観まで変わったような気がすると話していたのを思い出す。
  近ごろはそんな気分を癒してくれる気の利いた店にはなかなかお目にかかれない。どちらが金払ったのか、錯覚を起こすことがしばしばである。
  行くところがあるからと、しつこい女を振りきって南へ曲がる。府道扇町筋を横切って大融寺あたり、怪しげなホテルが立ち並ぶ。その一角に一・二階がキャバレー、地下がダンスホールのビルがある。キャバレーは閉店して廃虚同然だが、ダンスホールは嬉しいことに営業を続けている。颯爽と踊ってきたかったが、 その元気なく入口だけ確認して引っ返す。
  阪急側から商店街に入ってすぐのところに喫茶店「田園」が、確か火災で焼け落ちた筈だったが、復活していた。
  四角のフロアの直角に二面が鏡になっていて、ちょっと目には四倍の広さに見える。その直角に張られた鏡の前に、二階から四階まで吹き抜けて各階に上下する三角の小さなステージがある。
  「目の前で三浦洸一がうたっていた」
 
  さずがに大都会、田舎者には当時大変な驚きであった。コーヒー一杯で人気歌手の生の声が手の届くところで聞けた。
  今夜はとびっきりまずいうどんをすすりながら、あの時、感動したステージに、無造作に置かれたエレクトーンを眺めていた。
 
第137号 先生
1998-04-01
  十三歳の少年が学校の廊下で先生をナイフで刺し殺した。昨年は神戸で顔見知りの小学生を殺害して、その首を自分の通う学校の門に置いた中学生がいた。なんともおぞましい世の中になってしまった。
  子供の犯罪の低年齢化、凶悪化はそのまま大人の世相を映しているのだろう。
 
  「こんな日本にするために頑張ってきたのではない」
 
  だれかが嘆いていた。戦後の貧困から豊かな平和な社会を目指して懸命に働いてきた。
  貧しさから心が荒み犯罪が増えた。物質的に豊かになれば心も豊かになれる。だれもがそう信じて頑張ってきたはずなのに。物の豊かさと心の豊かさが比例しなかった。
  なぜ?
  答えは簡単だ。自由と人権尊重、まことに結構大事な思想だが、残念なことに社会のルールよりも優先されてしまった。
  箍(たが)が外れた桶は使い物にならないだけですむが、箍が外れた人間は他人に被害を及ぼす。
  心に箍をかけて、人間社会に融和していけるように育てるのが教育だと思うのだが、学校も家庭も政治もまことに寂しい。

  「心の教育を重視して」
 
  文部大臣様がおっしゃった。
  はて、心の教育って言葉や理屈で出来ることなのだろうか。心のない先生にどうやって生徒に心を教えるのだろう。心のある先生は自然に慕われている。
  心の教育は難しい。などと右往左往されたのでは子供がかわいそう。受験勉強に追われ理屈だけ覚えて、心をどこかに置き忘れた頭でっかち人間が、もしも教員に採用されているとしたら、教育界の明日はますます暗い。
  幸いにも我が子が小学生の時の担任は心優しいすばらしい先生であった。
  ホームルームの時間でのことだと思うのだが、先生が生徒に「悩みごと、腹のたつこと、何でもよいから思い切り書きなさい。先生が受け止めてあげる。そうすれば気持ちがすっきりするでしょう」
  クラス全員が書いた。
  ここまでは理屈だ。今日先生になった人にも、心ない先生にも出来る。大事なのはそこに書かれた子供の心をどう理解することができるかだ。
  先生はわかってくれたと子供が安心出来るか。せっかく書いたのに先生はなんだ、と子供に不信感を持たせるか。これは理屈では解決できない。心そのものだ。
  「坂東君もいろいろ書いてましたよ」
  反射的に「先生なにかかいてました?」愚かにも聞いてしまった。
  先生はにっこり笑って「それは会長さんでも、子供との約束ですから言えません」
  親として子供のことを知りたい。そこでPTAの会長という立場を利用して、わが子の書いたものを見せてもらうことが、あるいは可能だったかも知れない。しかし、先生のその一言で、私の脳裏をかすめた愚考は吹っ飛んでしまった。
  当時はまだ若い女性の先生であったが、その心根にうたれ、尊敬の念ひとしおであった。
  やはり早くに教頭になられて活躍されている。
 

第191号  灰になるために生まれてきたんじゃない

第191号  灰になるために生まれてきたんじゃない
 
灰になるために生まれてきたんじゃない

出来たばかりのコンクリート舗装の路上に白い大きな犬の死体が横たわっていた。

開通間もない国道十一号。現在は県道三十三号になっているが、私が高校に通っている三年間に工事が進められて、出来上がった真新しい路面に無残な姿があった。最近では路上に死んでいる犬猫を見るのは珍しくもなくなったが、半世紀も前の光景が強烈に脳裏に残っている。今も通勤時に通る道である。

悲惨な交通事故死は人間も同様で悲しむべきことであるが、その犬猫の命が不慮の死ではなく、まるで売れ残ったコンビニの弁当のように処分されていると聞くと人間のおぞましさに恐怖感を覚える。

それは連日報道される幼児虐待、いじめ、陰惨な殺人事件等殺伐とした世相に現れているようにも思える。

知人が「小さな命の写真展」として、保険所等で殺処分される前の犬猫の表情を写した写真展を常盤街商店街、ホームセンター、駅構内、市役所等々で開催している。

この命、灰になるために生まれてきたんじゃない。全国で一日に約一千頭の犬猫が二酸化炭素に依って殺処分されている。香川県は人口当たりの殺処分数は全国ワースト五位だそうだ。その費用は全国で二十四億円と聞くこれ全て税金で賄われている。

人の癒しの為に、命の尊さを共有する筈のペットが心ない一部の人と思いたいが、無責任に捨てられ殺される。

写真展の会場で売られていた児童書のノンフィクション作家、今西乃子著「犬たちを送る日」の冒頭の部分を要約して紹介したい。

一九七八年、野犬の撲滅対策として、ある県での犬の買い上げ制度を設けたときのことである。

犬を保険所に持ち込んだ県民には一頭五百円の報酬を出す。

そこに小学生三人が七匹の子犬を持ち込んだ。

「すみません、これ買うてくれるんですか?」

「これ?どうしたいん?」

「犬、一匹ここに持ってくれば、五百円くれるって聞いたけん。七匹で三千五百円やけんね。お金くれん?」

当時の三千五百円といえば、かなりの高額である。

「そのお金、何につかうんや?」

「プラモデルじゃけん!欲しいプラモデルがあるで、それ買いたいんや!はようお金ください」

「君らが連れてきた子犬、ここに来てどうなるか知っとるか?」

「・・・?」

「あのな、ここに連れてこられた犬は、みんなあと数日で殺されてしまうんや。この子犬もそうじゃけん。みんな殺されてしまうんやで。それでもええんか?」

「かまわんけん!はようお金ください!はよう行かんと、プラモデルやさん、閉まってしまうけん」

 親が教えたのだ。

「そんなに小遣いがほしかったら、野良犬の子犬を見つけて保険所へ持って行け」と。 

 命を金に換え、そのお金で自分たちの欲しいものを手に入れようとする少年達、それを容認する大人達がたまらなく悲しく思えた。

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