エスエヌデー株式会社|電設資材|照明器具|空調機器|住宅設備機器|家電製品|情報機器販売|香川県坂出市

 
 
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第136号 甥の結婚式
1998-01-01
 JR甲子園口駅からタクシーに乗って結婚式場のホテルに向かう。この町並みには見覚えがあった。確か数年前に同じ道をタクシーで走った。
  あのときは、五十六歳で亡くなった義兄の葬儀に参列するためであった。今日はその義兄の次男の結婚式。
  無類の酒好きであったが、ある日突然、もう酒は欲しくないと言って、それまで一日も欠かしたことのない晩酌を絶った。その三ヵ月後に亡くなった。
  酒が体をむしばんでいたのだが、本人も家族もそれに気付くのが遅すぎた。二人の息子も社会人になって、これから人生を大いに楽しめるようになった矢先に、あの世に行ってしまったのではあまりにさみしい。好きな酒で命を縮めた本人は納得して逝ったかも知れないが、残された家族はたまらない。個性豊かな人であったから個性に溢れた人生の終わり方だったのだろうか。
  かつて私は大阪市内で鋼材の販売店を営んでいた義父の下で働いていた。多分それが生涯の仕事になる筈であったのだが、若さか、未熟さからか、義父と行き違いを重ねて飛び出してしまった。
  二十五歳の無鉄砲ぶりはあきれるばかりだが、その結果としての善しあし、幸、不幸は問わないことにしている。

  そんな私の後、義父の窮状を救ったのが義兄である。その仕事ぶり、店の状況は出来るだけ耳にしないようにしていたから、知る由もないが、何年か後、同じように義父と衝突して辞めたようである。
  後継者を失った晩年の義父は妻と娘、それにおとなしい従業員一人だけ雇って細々と商いをしていた。
  そのじょう舌の義父が、皮肉にも舌癌にかかって店を閉じ、間もなく他界した。
  義父も義兄も取り分け個性の強い人であったと思うのだが、円満を自負する私も、やはりその一人に加えざるを得ないのか。
  義父の言われることを素直に聞いて、商いに励んでいたら、今ごろは大阪の郊外で豪邸に住まいしていただろうに、まことに惜しいことをしてしまった。いやとっくに倒産の憂き目にあって借金地獄で苦しめられていたかも知れない。
  運命には自分の意思、力の及ばないところでもてあそばれる。その運命を楽しめるようになると人間も一人前か。
  訃報に駆けつけた道が今日は祝の宴に行く道。心にゆとりがあったのか、ホテルに到着するまで、過ぎし三十余年前を振り返っていた。

  ほとんど会う機会のない甥達だが、父を亡くした悲しみを超えて明るく立派に成長していた。
  酒好きだった父の影響ではないだろうが、結婚する二男は有名な灘の酒造メーカーへ勤めている。その職場で知り合った恋愛結婚。
  同僚や上司の方々が大勢出席して、酒造り唄も賑やかに豊富なお酒で披露宴は大いに盛り上がった。
  「この息子と一緒に酒を飲むのがわしの夢」
  待望の男児が誕生して喜びいっぱいに話していた義兄の姿が思い出される。
  美しいお嫁さんを横に、御礼の言葉を見事に話した新郎の姿に、父親代わりの長男が、しきりに涙をぬぐっていた。
 
第135号 レコードプレーヤ
1997-10-01
 通信販売でステレオを買った。

  私の職業は電設資材の卸業。当然電化製品も扱っている。それがなんでそんなところから、と不審に思われるかも知れないが、商品の善し悪しとか、価格がどうか調べるためではない。
  我々が取り扱っているものは常に最新商品でステレオと言えば、ほとんどCDプレーヤーでカセットテープとの併用機、昔のSP、LP盤が聞けるレコードプレーヤーを搭載したものは姿を消して久しい。そこをねらったメーカーが現れた、ご丁寧に針まで付けて宣伝している。これは待望の商品だ。早速飛びついた。
  カタログを見て注文したのだが、現物が届いて驚いた。なんと小さい。これは詐欺ではないか。スピーカーがひとつだけ入っていると思えるようなケースに一式納まっている。
  気持ちは若いつもりでも固定した先入観は年相応らしい。大きさは数分の一になって性能は数倍よくなっている。
  物持ちの良さでは自分でも呆れるほどだが、どう言うわけか、豪華な家具調のステレオは早々と処分してしまった。そのサイズに合わせて新築時に、置き場を造ったほどであったのに、故障して修理不能を宣告されたのか、CDに変わってしまって、針の供給が出来なくなってやむなく処分したのか、記憶は定かではないが、哀れ使われもせずにレコード盤だけが書棚の引き出しに眠っている。わずかに数十枚の世間ではなんの値打ちもないものだろうけれど、私の青春時代の貴重な心の糧、捨てるわけにはいかなかった。
  変色して染みだらけになった包装から取り出したLPレコード、回転をはじめた盤にそっと針をのせる手が興奮で震える。さてその音色は。

  ダンス音楽「今宵踊らん」ぼくの伯父さんはクイックステップ、エデンの東はワルツ、鉄道員のテーマはスロー・フォックス・トロット、小さな花でタンゴになって…
  流れてくるメロディーは色あせていなかった。
  はにかみながら習ったダンスのレッスン場がうかんでくる。
  大都会に限り無いあこがれを抱いていたころの井上ひろしが歌う「東京ワルツ」のドーナツ盤は、針溝が擦り切れていてもおかしくないくらいに繰り返し聞いていた。さすがにところどころで摩擦音が入るが、十分に当時を蘇らせてくれる。
  ジャケットの隅に62.7とあるのは今から三十五年も前のこと。アンディ・ウイリアムスの甘い声、ダニー・ボーイのSP盤、これは唯一言語で覚えた歌。
 
  最近はカラオケが全盛期だが、何千何万曲と用意されていながら、その中から我が青春時代の心のよりどころとして覚えた歌を捜すのが難しい。
  カラオケが出る以前は少数ではあったが、数人のバンド演奏やピアノ伴奏で歌えるところがあった。そこでは発売されたレコードのすべてと思えるほどの楽譜が用意されていて、私がリクエストした歌は、どんな曲でも演奏してくれた。いつかそんなところが再び出現することを密かに期待している。
  レコードプレーヤーを復活させてくれたメーカーに感謝しながら、再び日の目を見た古きレコードで、甘酸っぱい思い出に浸っている。
 
第129号 社交ダンス
1996-04-01
 社交ダンスが復活したようだ。復活という言い方が正しいかどうかはわからないが、確か、昭和三十年頃が全盛期で、ビルの一フロアを使ったダンスホールが、あちこちにあったらしい。
  青春時代にそのダンスを楽しんだ方々は現在還暦を迎えられている。子育て、仕事に追われた時を過ごして、第二の人生にダンスを思い出されたのであろう。
  私が大阪に就職した頃は、すでにそうしたホールの多くは姿を消していた。先輩が連れて言ってくれた、人がひしめきあっている薄暗い部屋。ダンスがなにか全く理解出来ていない私には不可解な空間であったが、そこが数少なくなったダンスホールであったらしい。

  引込み思案の私が、その廃れかけた社交ダンスを習いに行ったのは自分でも意外だったが、その動機には正にその引っ込み事案であった。
  キャバレーに連れて行ってもらっても、話せない、遊べない、当然相手にされない。この救い難いおとなしさをどうするか。同じアパート暮らしの同級生と相談の結果"ダンスを習おう"ということになった。
  国道2号線の福島の交差点を東に入ったすぐの木造家の二階。なぜそこに行ったのか記憶は定かではないが、多分出入りが目立たなかったのがよかったのだろう。フロアの真ん中に邪魔な柱が二本、まことに粗末なレッスン場であったが、もっと驚いたことは、教えてくれる女性が、華やかなダンサーかと思いきや普段着のまるでおばさんばかり(失礼)
  ダンスをする女性がなぜ?と、しばらく不思議に思っていたが、レッスン場では当たり前のことで、カクテルドレスのダンサーは正式なダンスホールに揃っておられました。
 
  「スロースロークイッククイック、もっと胸張って」

  叱られること頻り。
 
 「そう言われても恥ずかしいもん」
 
 小学生、中学生と育ち盛りに、気の強い女先生にいじめられて身に付いた防御姿勢。この176センチの身長をいかに小さくするか、猫背はそう簡単には治りそうにない。
  それでも三ヶ月ほど通ってリズムに合わせて一通り足が動くようになった頃、アマチュアにも級があるらしく、初級から受けるように進められたが、遊びにまで級はいらないと断わる。なんのことはない、照れ臭くてそんなテストを受ける勇気など持ち合わせていなかったのだ。
  昨年、お得意さんと仕事で大阪に行く機会があって、梅田のダンスホールがまだ存在しているか、捜して行ったら、なんと新御堂筋の立ち退きにも免れて、30数年の時を超えて同じところに同じ姿で営業していた。当時すでに熟年だったダンサーも同じ年を過ごしてなお現役であった。
  折角の機会であったから、その同じ年を過ごした超ベテランダンサーに、大枚何千円か支払って1タイム15分相手をしてもらったが、スナックのテーブルの間と違って、町の体育館ほどの広さに圧倒されて、昔取った杵づかとはいかなかった。
  当時ここで必ず見かけたベレー帽のおじいちゃん。若い女性相手に颯爽と踊っていた。あんな年寄りになれたら楽しいだろうと羨ましく思っていたがすでに失格のようである。
  五十路になってやっと猫背も伸びて、身長が3センチ高くなった。これで颯爽とダンス踊って!いえ胴回りもその数倍伸びました。
 
第117号 庭師
1993-04-01
 「ついにやったぜ」
 
 そんなに大袈裟なことでもないか。昨年暮れから正月休みにかけて我が家の庭木の剪定をする。それが穏やかな天気にも助けられて十五日の成人の日にやっと終了したのだ。
 昨年まで毎年秋の終わり頃本職の庭師にお願いしていたものを、今年は自分ですることにした。
 いずれは隠居仕事で自分の手で、とは考えていたが、まだその年には些か時間はあるが、土曜休日も増えたし、そのときに備えて今から練習しておこうと、思い立った次第。
  とは言うものの、本職の庭師で延べ十人ほどの日数を要していたのを、素人が一人で、勤めの合間の休日にやろうと言うのだから簡単にはいかない。第一隠居仕事と考えていたのが大きな間違いであった。大変な重労働である。殊に十尺の脚立のてっぺんまで上がってやっと届く松の枝は、不自然な姿勢を余儀なくされて余分な力と高所恐怖で疲労度数倍。
  木は上ほど勢いがあって頂上に密生した新芽のどこを切るか、思案しつつ眺めている目に雲の動きが入って来る。一瞬自分の体が動いたように錯覚して木にしがみつく。もともと木登りは苦手なのだ。これは慣れるまで相当時間がかかりそう。
  幸なことにそんなに高い木は一本だけで他はほとんどが育ち盛りの若木ばかり。それでも絡み合った枝をほぐして、針金で方向を定めたり添え木して真っすぐに整えたりしていると、二メートル程の一本の松に正味三日間かかったのもある。本職がしてくれた後は見栄えは良いが枝の方向付けまではしてくれない。それに見てくれを良くするためか、やたら徒長枝が多い。これを切除すると葉がなくなりそうな枝もある。それを素人が自分の気にいるように整えようとするのだから容易ではない。本を片手に、又その心得のある知人に教えを乞いながらの作業が続いた。
  子供の頃からの習慣で、なにをするにも私の横ではラジオがなっている。

「声は聞こえるのに姿が見えないと思ったら木の上におるのか」

  鳴門から生若布を届けてくれた得意先の会社の会長さん。
「ようやるな。わしゃまだあんたみたいに木いらう年にはならんからようせんわ」
 
と、なにをおっしゃいますか、私より一昔上の会長さんは立派な適齢期(失礼)。
 
「ついでにうちのもやってくれよ、庭師に頼んでも仕事量が一日では中途半端でなかなかきてくれんのや」

  もう少し実践して自信が持てるようになったらお世話になっているお礼に奉仕させて頂きましょう。
  庭木には全く無関心だった亡き父が植えた唯一の木、玉柘植が大きくなった回りの木に邪魔されて半分枯れかかっている。別の場所に移しても良いのだが、せっかく張った根がかわいそうで、回りの邪魔な枝を落として日照権を確保してやる。その柘植や貝塚は日陰になったところがいつの間にか葉が無くなっている。沈丁花、椿などは少々日陰でも元気元気。貝塚伊吹が所どころ触ると痛い杉葉を出している。これは余計に切られた怒りの反抗らしい。
  何年か前から、私の机の上に置いたままになっていた「住まいの庭園技能講座」の学習書がやっと日の目を見るときが来たようだ。
 

第191号  灰になるために生まれてきたんじゃない

第191号  灰になるために生まれてきたんじゃない
 
灰になるために生まれてきたんじゃない

出来たばかりのコンクリート舗装の路上に白い大きな犬の死体が横たわっていた。

開通間もない国道十一号。現在は県道三十三号になっているが、私が高校に通っている三年間に工事が進められて、出来上がった真新しい路面に無残な姿があった。最近では路上に死んでいる犬猫を見るのは珍しくもなくなったが、半世紀も前の光景が強烈に脳裏に残っている。今も通勤時に通る道である。

悲惨な交通事故死は人間も同様で悲しむべきことであるが、その犬猫の命が不慮の死ではなく、まるで売れ残ったコンビニの弁当のように処分されていると聞くと人間のおぞましさに恐怖感を覚える。

それは連日報道される幼児虐待、いじめ、陰惨な殺人事件等殺伐とした世相に現れているようにも思える。

知人が「小さな命の写真展」として、保険所等で殺処分される前の犬猫の表情を写した写真展を常盤街商店街、ホームセンター、駅構内、市役所等々で開催している。

この命、灰になるために生まれてきたんじゃない。全国で一日に約一千頭の犬猫が二酸化炭素に依って殺処分されている。香川県は人口当たりの殺処分数は全国ワースト五位だそうだ。その費用は全国で二十四億円と聞くこれ全て税金で賄われている。

人の癒しの為に、命の尊さを共有する筈のペットが心ない一部の人と思いたいが、無責任に捨てられ殺される。

写真展の会場で売られていた児童書のノンフィクション作家、今西乃子著「犬たちを送る日」の冒頭の部分を要約して紹介したい。

一九七八年、野犬の撲滅対策として、ある県での犬の買い上げ制度を設けたときのことである。

犬を保険所に持ち込んだ県民には一頭五百円の報酬を出す。

そこに小学生三人が七匹の子犬を持ち込んだ。

「すみません、これ買うてくれるんですか?」

「これ?どうしたいん?」

「犬、一匹ここに持ってくれば、五百円くれるって聞いたけん。七匹で三千五百円やけんね。お金くれん?」

当時の三千五百円といえば、かなりの高額である。

「そのお金、何につかうんや?」

「プラモデルじゃけん!欲しいプラモデルがあるで、それ買いたいんや!はようお金ください」

「君らが連れてきた子犬、ここに来てどうなるか知っとるか?」

「・・・?」

「あのな、ここに連れてこられた犬は、みんなあと数日で殺されてしまうんや。この子犬もそうじゃけん。みんな殺されてしまうんやで。それでもええんか?」

「かまわんけん!はようお金ください!はよう行かんと、プラモデルやさん、閉まってしまうけん」

 親が教えたのだ。

「そんなに小遣いがほしかったら、野良犬の子犬を見つけて保険所へ持って行け」と。 

 命を金に換え、そのお金で自分たちの欲しいものを手に入れようとする少年達、それを容認する大人達がたまらなく悲しく思えた。

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