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第139号 東北夏祭りめぐり
1998-10-01
  ラッセラ-・ラッセラッセラー!
  八月五日、ねぶた祭りの跳人(はねと)の一人として参加しているはずであった。
  メーカーの代理店でつくっている懇親のための会が企画した東北夏祭りめぐり。
  出発の前日近所に不幸があって、その葬儀のために一日キャンセルして、翌日の秋田竿灯祭りから参加。秋田のホテルで一行と合流した途端に、前日のねぶた 祭りの感動を各人それぞれに矢継ぎ早に伝えてくれる。青森から秋田まで一日バスにゆられて、なお興奮さめやらぬ様子である。
  見学だけではなく体験しようと事務局が、衣装、足袋等用意してメーカーのねぶたについて三キロ以上も踊り歩いたそうである。中には多少ご高齢の方、病み 上がりの方もおられたが、全員最後まで歩かれた。その熱意と雰囲気に押されて疲れを感じさせなかったのだろう。
  残念な気持ちがなくもないが、かつて、ねぶたの里を訪れて、あの独特の絵、勇壮なつくりはこの目で確かめていたから、口々に飛び出してくる感激の言葉はよく理解できる。
  昨夜の激しい動のねぶた祭りから、今夜は静の竿灯祭りに。
  長さ十メートルの竹に九本の横竹を結び、四十六個の提灯をつるした重さ五十キロ以上もある竿灯を片手で、額で、腰で支えて立てる。延長八百メートルの大通りの左右に、その数約百九十本が夜空を彩る。中央分離帯の桟敷席でその圧巻に浸る。
  何年か前に、丸亀市の南部に観光バスが出入りできる巨大なさぬきうどんレストランが開店した。その店内にこの竿竹が置かれている。その経営者がどこかの 祭りで見てきて、えらく気に入って設備業者につくらせたのだと聞いていた。ここはちょうちんの中はろうそくでなく電球が点灯するようになっている。これが 難しく、その配慮に苦労してたのを思い出す。なんともかわったものをつくらせるものだと当時は思っていたが、秋田のこの竿灯祭りを目の前にして、その経営 者の気持ちが分かったような気がする。
  あいにく天気予報通りに雨が降り出し、その日の予定は早めに切り上げたようだが、その雰囲気は十分に味わった。
  翌日は角館(かくのだて)の歴史にふれ、田沢湖で前沢牛のバーベキューで昼食をして一日かけて仙台まで移動。
  杜(もり)の都、広瀬川、青葉通り、なんともロマンチックな響きの街。何度か訪れたことはあったが、七夕祭りははじめてである。
  近年、観光行事、市民の憩いのためにはじめられたものと思っていたら、なんと七百年の伝統ある行事であった。
  商店街のアーケードの豪華な竹飾り。それぞれの店が趣向を凝らし、手間をかけてつくったのであろう、その飾りに金、銀、銅賞、優秀賞等選ばれていた。そ して踊りやパレードも繰り広げられるようであったが、残念ながら時間がなく飾られた商店街を歩いてきただけだったが、祭りにかけるエネルギーは強く感じら れる。
 
  東北の夏祭り。四国に住む我々からすれば、ややもすれば片田舎の祭りのようにとらえがちだが、行って見れば四国よりもはるかに都会で、その祭りには全国 から人が押し寄せてくる。一合まいたの高松祭りを思うとき、なんともさみしく、うらやましい東北夏祭り紀行であった。
 
第138号 大阪北漫歩
1998-07-01
「阪急東通り商店街」

  大阪に少しでも関係のある人なら必ず知っている北の繁華街。南の心斎橋筋。戎橋筋とは違って、物を売る商店らしきものはほとんどない。そこがなぜ商店街と言われるのか、私には今もって疑問だが。
  そこを何十年ぶりか、夜一人で歩いてきた。付近の建物が新しくなり、千里方面から入ってくる新御堂筋の道路で寸断されて、随分雰囲気は変わったようだが、賑わいは昔のままだ。
  街の大半が喫茶店で、そこを隈なく回ろうと、せっせと通った時期があった。つい最近、物置からその記念?のマッチが菓子箱一杯出てきた。その喫茶店も多くがパチンコ店に侵食されて静かな語らいの部屋が、金属音の中で小さな玉を追う孤独な輩が集まる場所になっているのはいささか残念な気がするが、これも世 相の反映か。

  新御堂筋を横断してずっと東へ行くと段々と怪しげな雰囲気になってくる。中年の美女がいつの間にか腕を組んできた。
 
「かわいい子がいるのよ」
 
「かわいい子より、あんたの方が美人でいいぞ」
  適当にはぐらかせながら、マイペースで歩いて行く。
  三十年も前の思い出を手繰り寄せながら、感慨深げに歩いていたつもりだったが、この女には男の欲望を満たしに、夜の街をほっつき歩いているようにしか見えなかったのだろう。確かこのあたりに有名なナイトクラブがあった。専属バンドも一流で、現在タレントとしても活躍されている浪花のモーツァルトと呼ばれている人も、そのバンドのピアニストであった。
  ある先輩が、青春の悩みを抱えて、清水の舞台から飛び降りたつもりの、大金をはたいてそのナイトクラブへ入った。そこで付いてくれたホステスさんが、その悩みを優しく解きほぐしてくれて気分晴れ晴れ、人生観まで変わったような気がすると話していたのを思い出す。
  近ごろはそんな気分を癒してくれる気の利いた店にはなかなかお目にかかれない。どちらが金払ったのか、錯覚を起こすことがしばしばである。
  行くところがあるからと、しつこい女を振りきって南へ曲がる。府道扇町筋を横切って大融寺あたり、怪しげなホテルが立ち並ぶ。その一角に一・二階がキャバレー、地下がダンスホールのビルがある。キャバレーは閉店して廃虚同然だが、ダンスホールは嬉しいことに営業を続けている。颯爽と踊ってきたかったが、 その元気なく入口だけ確認して引っ返す。
  阪急側から商店街に入ってすぐのところに喫茶店「田園」が、確か火災で焼け落ちた筈だったが、復活していた。
  四角のフロアの直角に二面が鏡になっていて、ちょっと目には四倍の広さに見える。その直角に張られた鏡の前に、二階から四階まで吹き抜けて各階に上下する三角の小さなステージがある。
  「目の前で三浦洸一がうたっていた」
 
  さずがに大都会、田舎者には当時大変な驚きであった。コーヒー一杯で人気歌手の生の声が手の届くところで聞けた。
  今夜はとびっきりまずいうどんをすすりながら、あの時、感動したステージに、無造作に置かれたエレクトーンを眺めていた。
 
第137号 先生
1998-04-01
  十三歳の少年が学校の廊下で先生をナイフで刺し殺した。昨年は神戸で顔見知りの小学生を殺害して、その首を自分の通う学校の門に置いた中学生がいた。なんともおぞましい世の中になってしまった。
  子供の犯罪の低年齢化、凶悪化はそのまま大人の世相を映しているのだろう。
 
  「こんな日本にするために頑張ってきたのではない」
 
  だれかが嘆いていた。戦後の貧困から豊かな平和な社会を目指して懸命に働いてきた。
  貧しさから心が荒み犯罪が増えた。物質的に豊かになれば心も豊かになれる。だれもがそう信じて頑張ってきたはずなのに。物の豊かさと心の豊かさが比例しなかった。
  なぜ?
  答えは簡単だ。自由と人権尊重、まことに結構大事な思想だが、残念なことに社会のルールよりも優先されてしまった。
  箍(たが)が外れた桶は使い物にならないだけですむが、箍が外れた人間は他人に被害を及ぼす。
  心に箍をかけて、人間社会に融和していけるように育てるのが教育だと思うのだが、学校も家庭も政治もまことに寂しい。

  「心の教育を重視して」
 
  文部大臣様がおっしゃった。
  はて、心の教育って言葉や理屈で出来ることなのだろうか。心のない先生にどうやって生徒に心を教えるのだろう。心のある先生は自然に慕われている。
  心の教育は難しい。などと右往左往されたのでは子供がかわいそう。受験勉強に追われ理屈だけ覚えて、心をどこかに置き忘れた頭でっかち人間が、もしも教員に採用されているとしたら、教育界の明日はますます暗い。
  幸いにも我が子が小学生の時の担任は心優しいすばらしい先生であった。
  ホームルームの時間でのことだと思うのだが、先生が生徒に「悩みごと、腹のたつこと、何でもよいから思い切り書きなさい。先生が受け止めてあげる。そうすれば気持ちがすっきりするでしょう」
  クラス全員が書いた。
  ここまでは理屈だ。今日先生になった人にも、心ない先生にも出来る。大事なのはそこに書かれた子供の心をどう理解することができるかだ。
  先生はわかってくれたと子供が安心出来るか。せっかく書いたのに先生はなんだ、と子供に不信感を持たせるか。これは理屈では解決できない。心そのものだ。
  「坂東君もいろいろ書いてましたよ」
  反射的に「先生なにかかいてました?」愚かにも聞いてしまった。
  先生はにっこり笑って「それは会長さんでも、子供との約束ですから言えません」
  親として子供のことを知りたい。そこでPTAの会長という立場を利用して、わが子の書いたものを見せてもらうことが、あるいは可能だったかも知れない。しかし、先生のその一言で、私の脳裏をかすめた愚考は吹っ飛んでしまった。
  当時はまだ若い女性の先生であったが、その心根にうたれ、尊敬の念ひとしおであった。
  やはり早くに教頭になられて活躍されている。
 
第136号 甥の結婚式
1998-01-01
 JR甲子園口駅からタクシーに乗って結婚式場のホテルに向かう。この町並みには見覚えがあった。確か数年前に同じ道をタクシーで走った。
  あのときは、五十六歳で亡くなった義兄の葬儀に参列するためであった。今日はその義兄の次男の結婚式。
  無類の酒好きであったが、ある日突然、もう酒は欲しくないと言って、それまで一日も欠かしたことのない晩酌を絶った。その三ヵ月後に亡くなった。
  酒が体をむしばんでいたのだが、本人も家族もそれに気付くのが遅すぎた。二人の息子も社会人になって、これから人生を大いに楽しめるようになった矢先に、あの世に行ってしまったのではあまりにさみしい。好きな酒で命を縮めた本人は納得して逝ったかも知れないが、残された家族はたまらない。個性豊かな人であったから個性に溢れた人生の終わり方だったのだろうか。
  かつて私は大阪市内で鋼材の販売店を営んでいた義父の下で働いていた。多分それが生涯の仕事になる筈であったのだが、若さか、未熟さからか、義父と行き違いを重ねて飛び出してしまった。
  二十五歳の無鉄砲ぶりはあきれるばかりだが、その結果としての善しあし、幸、不幸は問わないことにしている。

  そんな私の後、義父の窮状を救ったのが義兄である。その仕事ぶり、店の状況は出来るだけ耳にしないようにしていたから、知る由もないが、何年か後、同じように義父と衝突して辞めたようである。
  後継者を失った晩年の義父は妻と娘、それにおとなしい従業員一人だけ雇って細々と商いをしていた。
  そのじょう舌の義父が、皮肉にも舌癌にかかって店を閉じ、間もなく他界した。
  義父も義兄も取り分け個性の強い人であったと思うのだが、円満を自負する私も、やはりその一人に加えざるを得ないのか。
  義父の言われることを素直に聞いて、商いに励んでいたら、今ごろは大阪の郊外で豪邸に住まいしていただろうに、まことに惜しいことをしてしまった。いやとっくに倒産の憂き目にあって借金地獄で苦しめられていたかも知れない。
  運命には自分の意思、力の及ばないところでもてあそばれる。その運命を楽しめるようになると人間も一人前か。
  訃報に駆けつけた道が今日は祝の宴に行く道。心にゆとりがあったのか、ホテルに到着するまで、過ぎし三十余年前を振り返っていた。

  ほとんど会う機会のない甥達だが、父を亡くした悲しみを超えて明るく立派に成長していた。
  酒好きだった父の影響ではないだろうが、結婚する二男は有名な灘の酒造メーカーへ勤めている。その職場で知り合った恋愛結婚。
  同僚や上司の方々が大勢出席して、酒造り唄も賑やかに豊富なお酒で披露宴は大いに盛り上がった。
  「この息子と一緒に酒を飲むのがわしの夢」
  待望の男児が誕生して喜びいっぱいに話していた義兄の姿が思い出される。
  美しいお嫁さんを横に、御礼の言葉を見事に話した新郎の姿に、父親代わりの長男が、しきりに涙をぬぐっていた。
 
第135号 レコードプレーヤ
1997-10-01
 通信販売でステレオを買った。

  私の職業は電設資材の卸業。当然電化製品も扱っている。それがなんでそんなところから、と不審に思われるかも知れないが、商品の善し悪しとか、価格がどうか調べるためではない。
  我々が取り扱っているものは常に最新商品でステレオと言えば、ほとんどCDプレーヤーでカセットテープとの併用機、昔のSP、LP盤が聞けるレコードプレーヤーを搭載したものは姿を消して久しい。そこをねらったメーカーが現れた、ご丁寧に針まで付けて宣伝している。これは待望の商品だ。早速飛びついた。
  カタログを見て注文したのだが、現物が届いて驚いた。なんと小さい。これは詐欺ではないか。スピーカーがひとつだけ入っていると思えるようなケースに一式納まっている。
  気持ちは若いつもりでも固定した先入観は年相応らしい。大きさは数分の一になって性能は数倍よくなっている。
  物持ちの良さでは自分でも呆れるほどだが、どう言うわけか、豪華な家具調のステレオは早々と処分してしまった。そのサイズに合わせて新築時に、置き場を造ったほどであったのに、故障して修理不能を宣告されたのか、CDに変わってしまって、針の供給が出来なくなってやむなく処分したのか、記憶は定かではないが、哀れ使われもせずにレコード盤だけが書棚の引き出しに眠っている。わずかに数十枚の世間ではなんの値打ちもないものだろうけれど、私の青春時代の貴重な心の糧、捨てるわけにはいかなかった。
  変色して染みだらけになった包装から取り出したLPレコード、回転をはじめた盤にそっと針をのせる手が興奮で震える。さてその音色は。

  ダンス音楽「今宵踊らん」ぼくの伯父さんはクイックステップ、エデンの東はワルツ、鉄道員のテーマはスロー・フォックス・トロット、小さな花でタンゴになって…
  流れてくるメロディーは色あせていなかった。
  はにかみながら習ったダンスのレッスン場がうかんでくる。
  大都会に限り無いあこがれを抱いていたころの井上ひろしが歌う「東京ワルツ」のドーナツ盤は、針溝が擦り切れていてもおかしくないくらいに繰り返し聞いていた。さすがにところどころで摩擦音が入るが、十分に当時を蘇らせてくれる。
  ジャケットの隅に62.7とあるのは今から三十五年も前のこと。アンディ・ウイリアムスの甘い声、ダニー・ボーイのSP盤、これは唯一言語で覚えた歌。
 
  最近はカラオケが全盛期だが、何千何万曲と用意されていながら、その中から我が青春時代の心のよりどころとして覚えた歌を捜すのが難しい。
  カラオケが出る以前は少数ではあったが、数人のバンド演奏やピアノ伴奏で歌えるところがあった。そこでは発売されたレコードのすべてと思えるほどの楽譜が用意されていて、私がリクエストした歌は、どんな曲でも演奏してくれた。いつかそんなところが再び出現することを密かに期待している。
  レコードプレーヤーを復活させてくれたメーカーに感謝しながら、再び日の目を見た古きレコードで、甘酸っぱい思い出に浸っている。
 

第191号  灰になるために生まれてきたんじゃない

第191号  灰になるために生まれてきたんじゃない
 
灰になるために生まれてきたんじゃない

出来たばかりのコンクリート舗装の路上に白い大きな犬の死体が横たわっていた。

開通間もない国道十一号。現在は県道三十三号になっているが、私が高校に通っている三年間に工事が進められて、出来上がった真新しい路面に無残な姿があった。最近では路上に死んでいる犬猫を見るのは珍しくもなくなったが、半世紀も前の光景が強烈に脳裏に残っている。今も通勤時に通る道である。

悲惨な交通事故死は人間も同様で悲しむべきことであるが、その犬猫の命が不慮の死ではなく、まるで売れ残ったコンビニの弁当のように処分されていると聞くと人間のおぞましさに恐怖感を覚える。

それは連日報道される幼児虐待、いじめ、陰惨な殺人事件等殺伐とした世相に現れているようにも思える。

知人が「小さな命の写真展」として、保険所等で殺処分される前の犬猫の表情を写した写真展を常盤街商店街、ホームセンター、駅構内、市役所等々で開催している。

この命、灰になるために生まれてきたんじゃない。全国で一日に約一千頭の犬猫が二酸化炭素に依って殺処分されている。香川県は人口当たりの殺処分数は全国ワースト五位だそうだ。その費用は全国で二十四億円と聞くこれ全て税金で賄われている。

人の癒しの為に、命の尊さを共有する筈のペットが心ない一部の人と思いたいが、無責任に捨てられ殺される。

写真展の会場で売られていた児童書のノンフィクション作家、今西乃子著「犬たちを送る日」の冒頭の部分を要約して紹介したい。

一九七八年、野犬の撲滅対策として、ある県での犬の買い上げ制度を設けたときのことである。

犬を保険所に持ち込んだ県民には一頭五百円の報酬を出す。

そこに小学生三人が七匹の子犬を持ち込んだ。

「すみません、これ買うてくれるんですか?」

「これ?どうしたいん?」

「犬、一匹ここに持ってくれば、五百円くれるって聞いたけん。七匹で三千五百円やけんね。お金くれん?」

当時の三千五百円といえば、かなりの高額である。

「そのお金、何につかうんや?」

「プラモデルじゃけん!欲しいプラモデルがあるで、それ買いたいんや!はようお金ください」

「君らが連れてきた子犬、ここに来てどうなるか知っとるか?」

「・・・?」

「あのな、ここに連れてこられた犬は、みんなあと数日で殺されてしまうんや。この子犬もそうじゃけん。みんな殺されてしまうんやで。それでもええんか?」

「かまわんけん!はようお金ください!はよう行かんと、プラモデルやさん、閉まってしまうけん」

 親が教えたのだ。

「そんなに小遣いがほしかったら、野良犬の子犬を見つけて保険所へ持って行け」と。 

 命を金に換え、そのお金で自分たちの欲しいものを手に入れようとする少年達、それを容認する大人達がたまらなく悲しく思えた。

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