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第216号 リーダー 平成30年1月1日発行
2018-01-10
 JR伊予西条駅の鉄道歴史パークにある「十河信二記念館」を訪ねる。
「十河信二」この人無くして日本の新幹線は出来なかった。
 国鉄総裁に就任したのは御年七十一才。新幹線は老裁の夢物語と、国鉄内でも冷ややかなに見られていた中で、運輸大臣、総理大臣、関係する国会議員達に夜討ち朝駆けしてその必要性を説いた。
 当時の東海道線は英国の植民地向けの、レール幅が狭軌(1067㎝)で、建設費は安く済むが、速度が遅く、輸送量が少ない。いずれ限界が来ることは誰にも分かっていたのだが、国鉄の関係者、有識者のほとんどが、現存する狭軌のまま複複線化する計画案に賛同していた。そして鉄道は、いずれ自動車、航空機に取って代わると考えられていた。
 そんな中で、「世界一の電車を走らせる」と老骨に鞭打って孤軍奮闘したのが、十河信二であった。
狭軌から広軌(レール幅1435㎝)正確には国際標準軌への議論は、以前からあったようだが、議論だけで誰も実行に移す力はなかったのだろう。
 十河総裁の下、実現に向けて計画が検討されたが、技師長の藤井松太郎が「老人の夢物語だ」と取り合わず、そこで技師長を更迭して、新幹線の車両の生みの親になる、島秀雄が技師長に就任する。因みに秀雄の父、安次郎は明治大正時代に「車両の神様」と称えられた鉄道技師であった。欧米先進国に日本の鉄道は、ほぼ五十年遅れてスタートしたが、この親子二代で先進国に追いつき、最先端を駆ける車両を開発した。
 最近、日本のメーカーが英国で日本製の列車を走らせている。日本の誇り、日本技術の面目躍如だが、十河信二と言う人物が存在しなかったら、その技術も発達していなかったし、新幹線も走っていなかった。
 時代の流れ、進歩に合わせてそのうち出来ていたと思われる人もいるかも知れないが、それは間違いだ。
大多数の意見を取り入れて在来線の狭軌で複複線にしていたら、今日の日本の経済発展はなかっただろう。
 近年、日本は失われた二十年、いや三十年と言われてGDP(国内総生産)は中国に抜かれ景気は停滞しているが、これも優れたリーダー不在が原因だ。殊に電機業界は目を覆う現状だが、テレビが韓国に負け、経営が台湾人に委ねられる。今のトップは「いったい何をしているのか」創業者が草葉の陰で嘆いているだろう。
 良き時代は自然に出来るものではない。それぞれの分野で優れたリーダーが作ってきたものだ。
黒部ダムを建設した「太田垣士郎」産業界をリードした「松下幸之助」「盛田昭夫」「井深大」「本田宗一郎」懐かしい名前が浮かぶが、そんな人達が日本を発展させてきた。
 旅行、出張等で良く新幹線は利用するが、平日、休日を問わずどこからこれだけの人が出て来るのかと不思議なほど利用されている。
 もし新幹線が走っていなかったら、想像は出来ないが日本の姿も全く変わったものになっていただろう。
新幹線の生みの親が四国の伊予西条市出身であるにも関わらず、四国だけが取り残されているのはなぜ? それは四国に優れたリーダーが不在であることに他ならない。
 
2018-01-10
 
   第215号    代々(ダイダイ)    平成29年10月発行
2017-12-15
   代々(ダイダイ)                          
 
 
 確か三十数年前であったと思うが、町役場から各家庭に苗木が配られた。どんな行事の記念であったのか、全く記憶にないが、二本の「みかん」の木だ。品種は分からない。
 二本ともすくすくと育って、と言いたいところだが、家の増改築の度に何度か植え替えされる間に一本枯れてしまった。
 十年前に亡くなった母が元気な頃、このみかんの実を文化祭の品評会に出品して賞を頂いた。若木のみかんは姿形良く、色艶も肌も綺麗であった。
 いつも五月のゴールデンウイークの頃が食べ頃と収穫をしていたが、最近は食べるペースに合わせてちぎるようになった。暑くなった七月でも十分に瑞々しく美味しく食べられる。
 実を取る時に不思議に思っていたことがある。実が成っている同じ枝に来年の実が既に生っているのだ。そう言えば、春に確かに白い花が付いていた。
 それで代々と言うのだそうだが、みかんの色の橙が代々であったとは。お恥ずかしい限りでつい最近まで全く知らなかった。
 みかん科にもいろんな種類があって、品種改良も盛んで、我が家のみかんも酸っぱい代々の元種から人の口に合う品種に改良されたものかも知れない。
 代々は実をそのままにしておくと、秋には緑色に戻って、二~三年は成っているそうだ。来年は何個か残しておいて試してみよう。
 みかんは確かに植えた覚えがあるが、我が家にはいつからそこに生えていたのか、不明な柿の木がある。その一本が富有柿で、その柿の発祥の地がどうやら我が家の近くらしい。そこでこの木は間違いなく原木の別れと思っている。
 そのこくのある甘さはどんな柿よりも勝っている。今までに我が家の富有柿より美味しい柿を口にした覚えはない。
 そしてもう一本、西条柿は渋柿だ。この木は私が子供の頃から登れるほどの大きさであったから、とうに百年は過ぎているだろう。
 その一本の老木から三年前に二千個余りの実が成った。通常では当たり年で一千個前後、裏年だと数十個しか成らない。
 それを一個づつ二晩かかって皮を剥いて、ウッドデッキに干した。吊るされた二千個の柿は壮観であった。干しあがったところで冷凍保存。今も毎朝一個、食している。
 その二千個の豊作の後、隣の田んぼの上に伸びていた枝を、庭師に思い切り切ってもらった。若返りのつもりでもあったのだが、切り過ぎたのか、一昨年、昨年と全く実が成らなかった。葉っぱは良く繁っているのだが、さて、今年は?。
 高木を下から目を凝らして見るが、実の姿は確認出来ない。三年連続で結実なしになるのか。下から眺めていると、よくもこれだけ切ってくれたな、と叱られているような気もしてくる。
 品評会で賞を貰ったみかんは、柿と違って毎年豊富な実を付ける。根元に油粕を撒く程度で手入れは全くしないが、虫も付かない。優等生の果樹だ。年々成長してその実の大きさも一回りも二回りも大きくなって、味もより美味くなったが、他人様に差し上げるには気の引ける姿形だ。どうやら人も木の実も年齢とともに同じ運命を辿るようだ。           
 
   第214号  八丈島     平成29年7月発行
2017-12-15
   八丈島                         
 
                                                                                                            
 滞在の八丈富士の裾野、小高い丘の上のホテルから太平洋を望むと、他には何もない海岸近くに茶色い豪華そうなホテルらしき建物が見える。格安のこのツアーでは泊まれないホテルのように感じていたが、翌日に名勝地の南原千畳敷に行く途中にその建物の前を通ると、何とその建物は無残な廃墟であった。
 又、東京からの船が着く、底土と言う港の近くにも倒産した豪華なホテルが残っている。最盛期にはドラマの舞台にもなって撮影も行われていたようだが、好景気のバブルがはじけると途端に潰れてしまった。素朴な島には、似つかわしくない痛ましい姿を晒している。
 流人の島と言うイメージしか持っていなかった八丈島だが、巡ってみると名所旧跡も多く、東京から飛行機で一時間足らずで行ける.ホテル業者も浮かれた金儲け主義だけではなく、島の自然を、島の人々を、島の歴史に思いやる心ある経営で臨んでいたら、簡単に倒産することはなかったと思うが、これは素人の戯言か。
 ホテルから茶色い廃墟の建物越に島の突き出た部分の山の中腹に、何本かの橋脚が見える。島の一周道路の一部で、頻繁に車が行き来している。
八丈島は島と言ってもほとんどが樹木に覆われた山だが、そこを切り開いて無理に付けた危なかしく見える道路、これも時代の要求で仕方のない事だが、人間の営みは自然にとっては迷惑この上ない、と思いつつも、その道路脇の展望台から眺める八丈富士、沖に浮かぶ八丈小島は絶景だ 
ふるさと村の玉石垣は、頭の大きさ前後の丸い石を見事に石垣についてある。その石のある海岸は垂直に百メートル以上も下。どうして運んだのか。
ガイドさんの説明によると、流刑者に運ばせて、持って来た石とおにぎりを交換したのだそうだ。流人の姿が目に浮かぶ。
 島の東部に「みはらしの湯、末吉温泉」がある。その浴槽から、島の南端が太平洋に突き出た小岩戸ケ鼻を一望出来て、眼下に大海原が広がる。正しくみはらしの湯だ。
露天風呂から眺めると海岸近くに一艘の船が停泊している。地元の人に尋ねるとクジラの調査船だそうだが、それを知ってか知らずか、船の周りを二~三頭のクジラが何分か毎に姿を見せる。なんと露天風呂からホウェイルウオチングの贅沢。何度かクジラが上がって来るのを待っている間にすっかりのぼせてしまう。
 島の東の山、三原山の中腹辺りに「ヘゴの森遊歩道」が整備されている。シダ植物や野生ラン、常緑広葉樹林がうっそうと広がる原生林の森を歩く。恐竜が生きていた時代を想像させられることから「ジュラの森」と称されているのだそうだが、確かにそんな世界だ。
 島に自生する植物で染めた黄八丈。美しい黄色はコブナグサと言うイネ科の草から取れる。染めるのは煮汁に漬ければそれなりの色になるのは理解出来るが、織物の見事な模様はどう説明してもらっても分からない。縦と横の糸をどう組み合わせるのか。木製の機織り機で一本一本横糸を通していく。それでどうして模様が織れるのか、近くで見ていても分からない。その技術には尊敬するが、織りあがった商品を土産にと、陳列棚を覗くとやはりそれなりの価格がついている。技術相応とは納得するが、財布には手が届かなかった。
 
  第213号   丘の上     平成29年4月1日発行
2017-05-01

丘の上                           

 

 「松風さわぐ丘の上、古城よひとり、何しのぶ 栄華の夢を胸に、追い・・・」 思わずそんな歌の文句が浮かんできた。

 フィリピンのタガイタイにある、元大統領の別荘。建物は完全に廃墟になってコンクリートの枠組みだけが往時を偲ばせているが、風雨にさらされて朽ち果てるほどの年月が経っているわけではない。

 タガイタイは高級別荘地。マニラ郊外の標高数百メートルの丘陵地帯で熱帯のフィリピンでは比較的涼しい。その最高地に一般庶民は容易に近づけなかったマルコス大統領の別荘があった。

 高級な屋根材、豪華な内装は全て盗まれたとガイドは説明していたが、それは少しおかしいだろう。

 矢弾(やだま)の痕はないけれど、激しい政争の結果であることは間違いないと思う。

 当時の豪華な建物の姿をどこにも見ることが出来ないのだ。ガイドブックにも載っていないし、スマホで検索しても「元大統領別荘跡地」の表記しかない。

 マルコス大統領を追放した人民軍が意図的に消し去ったのだろう。ほんの三十年余り前の栄華が一瞬に消滅した。

 一九六五年にフィリピンの第十代大統領に就任したフェルディナンド・マルコス。

 二十年の在任期間中に目覚ましい経済発展を推進して東南アジアの優等生になったのだが、何処も同じ、妬みからか、不満分子の反対派が台頭してくる。それを抑えるには強権にならざるを得ないのか、権力を握ると傲慢になるのか。権力者の心理は知る由もないが国家に貢献した功績が瞬く間に水泡に帰してしまうのは、あまりにも残酷に思える。

 ともあれ、現在は市民の憩いの場になっている。訪れたのが偶々日曜日で人がごった返していた。

 数百メートル手前から、一般の車は入れずにフィリピン独特のジプニー(乗合バス)に乗って行くのだが、それに長蛇の列が出来ている。我々はツアーガイドの予約のお蔭で直ぐに乗り込む。到着したところが、冒頭の廃墟。三六〇度の展望、眼下にタール湖、その中に世界一小さな火山のタール火山。正に絶景だ。楽しそうに散策をしているフィリピンの人達にこの廃墟について聞いてみたかったが、その術はなく、唯、マルコス政権下の時代を知る世代は少数で、大半が若者世代に見えた時代は変わったのだ。

 マニラ市内に戻ると、湾を埋め立てた広大な土地に、スロットマシンの製造で財を成した日本人が、黄金に輝く巨大なホテルを建設して、一階はカジノ場でホテルより一足早く今年の一月にオープンした。将来はラスベガス、マカオを凌ぐ賭博施設を目指しているそうだ。

 近くには香川県内の大型スーパーの何倍もの規模のショッピングモールがあり、そこにも人が溢れている。

 マニラ大聖堂をはじめ立派な教会も数多く昨年就任したドゥテルテ大統領の言動からイメージする国とは全く印象が違っていた。

 業界の組合の香川支部で企画した日本企業(アンテナメーカーの工場)の海外視察で、治安の悪さを心配しながら出かけたが、目覚ましい発展を遂げているマニラ。国の人口も一億人を超えた。半世紀前の日本の活気を感じさせてもらった旅になった。

 

第191号  灰になるために生まれてきたんじゃない

第191号  灰になるために生まれてきたんじゃない
 
灰になるために生まれてきたんじゃない

出来たばかりのコンクリート舗装の路上に白い大きな犬の死体が横たわっていた。

開通間もない国道十一号。現在は県道三十三号になっているが、私が高校に通っている三年間に工事が進められて、出来上がった真新しい路面に無残な姿があった。最近では路上に死んでいる犬猫を見るのは珍しくもなくなったが、半世紀も前の光景が強烈に脳裏に残っている。今も通勤時に通る道である。

悲惨な交通事故死は人間も同様で悲しむべきことであるが、その犬猫の命が不慮の死ではなく、まるで売れ残ったコンビニの弁当のように処分されていると聞くと人間のおぞましさに恐怖感を覚える。

それは連日報道される幼児虐待、いじめ、陰惨な殺人事件等殺伐とした世相に現れているようにも思える。

知人が「小さな命の写真展」として、保険所等で殺処分される前の犬猫の表情を写した写真展を常盤街商店街、ホームセンター、駅構内、市役所等々で開催している。

この命、灰になるために生まれてきたんじゃない。全国で一日に約一千頭の犬猫が二酸化炭素に依って殺処分されている。香川県は人口当たりの殺処分数は全国ワースト五位だそうだ。その費用は全国で二十四億円と聞くこれ全て税金で賄われている。

人の癒しの為に、命の尊さを共有する筈のペットが心ない一部の人と思いたいが、無責任に捨てられ殺される。

写真展の会場で売られていた児童書のノンフィクション作家、今西乃子著「犬たちを送る日」の冒頭の部分を要約して紹介したい。

一九七八年、野犬の撲滅対策として、ある県での犬の買い上げ制度を設けたときのことである。

犬を保険所に持ち込んだ県民には一頭五百円の報酬を出す。

そこに小学生三人が七匹の子犬を持ち込んだ。

「すみません、これ買うてくれるんですか?」

「これ?どうしたいん?」

「犬、一匹ここに持ってくれば、五百円くれるって聞いたけん。七匹で三千五百円やけんね。お金くれん?」

当時の三千五百円といえば、かなりの高額である。

「そのお金、何につかうんや?」

「プラモデルじゃけん!欲しいプラモデルがあるで、それ買いたいんや!はようお金ください」

「君らが連れてきた子犬、ここに来てどうなるか知っとるか?」

「・・・?」

「あのな、ここに連れてこられた犬は、みんなあと数日で殺されてしまうんや。この子犬もそうじゃけん。みんな殺されてしまうんやで。それでもええんか?」

「かまわんけん!はようお金ください!はよう行かんと、プラモデルやさん、閉まってしまうけん」

 親が教えたのだ。

「そんなに小遣いがほしかったら、野良犬の子犬を見つけて保険所へ持って行け」と。 

 命を金に換え、そのお金で自分たちの欲しいものを手に入れようとする少年達、それを容認する大人達がたまらなく悲しく思えた。

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