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第207号 後期高齢者 平成27年10月1日発行
2016-03-03
       後期高齢者                           

 

                                         坂東重明
「実年齢は後期高齢者、精神年齢二十歳、すべて現役です」
 最近自己紹介の機会がある度にそう言うことにしている。多少誇張はあるが、本人は真面目にそう思っている。
 後期高齢者とは、元々医療保険制度から生まれた言葉のようだが、当初は非常に評判が悪かった。役人的発想で他に言い方はないのか、社会に貢献してきた人達につける名称としては失礼ではないか。熟年とか、シルバーの上でプラチナ世代等議論されたが、いつの間にか定着してしまったようだ。
 確か、二〇〇八年に施行された制度だが、当時はまだわが身には関係のない七十五才からのお年寄りの制度と気にもかけていなかったのだが、何と月日の経つのが早いこと。
 会社の労務士さんから、健康保険が変わります、と告げられる。保険料が給与から差し引かれるのが無くなって、内心喜んでいたらなんのことはない、町役場の査定により強制的に徴収される。しかもその個人負担額は増えるのだ。
 お年よりは金持ち、と言う発想の老人いじめに思えてくる。
 子供の頃に七十五才と言えば、失礼ながら老人も老人、棺桶が待っているだけの人生、何が楽しみで生きているのだろう。と真に無礼だが正直そう思っていた。そんな老人達からよく耳にしたのが、過去の自慢話。
「世が世であればわし(私)は・・・」
「わし(私)が若かりし頃は・・・」
 そんな話を聞く度に、老後の自分はどんなことがあっても、決して過去に縋ることなく今が一番と思える人生を歩もうと誓ってきた。
 精神年齢二十歳とは、良く言えば若い、悪く言えば成長がなかった。後者の方が正解だろう
 健康管理には、毎月定期的に病院で健康診断を受けて体力的には概ね健康だが、部分的には耳鳴りはする、目は霞む、鼻は詰まる、肩は凝る、前立腺肥大に高血圧、おまけに血糖値に中性脂肪まで高いと言う、どこが健康なのか!。ともあれ一病息災を多病でも、より息災にと考えて、お医者様の言われることは素直に聞いて対応しているつもりだが、どうしても意思薄弱になることがある。
 これは食糧不足の時代に身に着いた「もったいない」精神である。宴会に出された料理は全て平らげる。残すことに堪られない抵抗感があるのだ。
 医者から体の為に禁煙をしろ、酒は控えよ、と言われながら大半の人が実行出来ない。そんな人達を常に軽蔑の目で見てきた私だが、
 さて、「たばこと酒」を「食事」に変えたら、全く同じことではないか。
 好物のアンパン、どら焼きの類は簡単にセーブして、普段の昼食はインスタントのカップ麺だけ、朝夕食はもちろん腹八分以下、それでも体重一㎏減らすのに苦労するのだが、それが一度の宴会で二~三㎏は簡単に増えてしまう。これが血糖値を押し上げる。
 毎日欠かさず、体重、血圧は計って記録しているから、その変化は分かっているのだが、この宴会での食欲の制御が問題だ。
 夏痩せ、食欲不振には縁遠く、食欲は元気の元、若さを保つ必須条件でもある、と理屈をつけて、つい美食三昧、これがいけません。
 かっての血糖値を正常に戻したこともある。その体験を生かして、無理なく自然な生活習慣が健康につながるよう心して後期高齢期を楽しもう。
                                        綾歌郡綾川町
 
  第206号  イモアメ  平成27年7月1日 発行
2015-08-07
    イモアメ                       
 
 
 同窓会の宴の後、何人かで雑談をしている時に、その中の一人が、
「こんな話を聞いたけど、ほんとなの?」
「坂東さんのところは昔イモアメを炊いていた、と言ったら、途端に酷く不機嫌になられた」と聞いているけど、
「それはどうして?」、
突然の質問に唖然とする。イモアメを作っていたのは確かだが、そのことを聞かれたことも、どんな返事をしたかも覚えはないが、聞いた人がそう言われたのであれば事実なのだろう。私の心に潜在的にイモアメは貧困につながっている。イモアメと言われて不機嫌になったのではなくて、当時の貧しさを思い出し悲しい気持ちがこみ上げてきて、それがそのまま表情に表れたのだろう。
小学四年生前後の頃、どこでどう教えてもらったのか、両親が家でイモアメ作りを始めた。自分の田畑で栽培した芋を使って作るのなら採算も合うのだろうが、我が家は非農家である。ギーギー車輪の音がうるさい粗末な手押し車を押して、農家を回ってサツマイモを分けてもらう。当時どこの農家も縁側の下に穴を掘って、もみ殻を入れてその中に芋を保存していた。雪の降る日に母親について行った記憶があるが、みすぼらしい我が家に比べて、それぞれの農家の家が豪華に見えた。
快く売ってくれたところ、うるさがられて追い返されたところもあったように思うが、元々父母共に商売が出来るような人ではない。
夜通しかかって炊いていたようだが、出来上がった飴を又ギーギーの手押し車に乗せてひと山超えた日用品店に納める。片道二時間はかかった。その店は日用品を売る傍らで饅頭を作っていた。それに使われたようだが、苦労して作った飴がどれほどの利益になったのか知る由もないが、仕事の無い時代で窮余の一策であったのだろう。唯生活の為に性に合わないことに必死だった哀れな母の姿が脳裏に残っている。
物心がついてきた頃の貧困、僻みと劣等感はそこから始まったように思われるが、今年で後期高齢者の仲間入りだが、劣等感は今なお引きずっている。
二人の孫が現在小学五年生と四年生。我が子の時は子育てに必死で考える余裕もなかったのか、いつの間にか過ぎていたが、素直に育っている孫達を見ていると、我がイモアメ時代と比べて、頼もしくもあり、羨ましくもある。
二人揃ってピアノに卓球、英語にそろばんバレーボールにと、小さな体で大丈夫かと心配する爺婆を余所に連日出かけて行く。
我が六十才から習い始めたピアノも、昔多少の自信もあった卓球もすでに孫に追い越されてしまった。
同級生から聞かれてイモアメを作っていた頃の悲惨な気持ちを話していると、その話を遮って、別の一人が
「何言ってるの、私なんか家が貧しかったから高校に行けなかったんで!」
ずっと羨ましく輝いて見えていた人からの一言が私には応えた。
 甘い飴とは反対に苦い思い出のイモアメだが、一度作ってみたいとも思っている。作り方は全く分からないが、そこは時代の進歩。手にしたスマホに「いもあめ」と入れて検索すると事細かく作り方が出てくる。豊かな時代である。
 
第205号 メークローン市場雑感 平成27年4月1日発行
2015-08-07
        メークローン市場雑感
 
  市場内に拡声器で放送が流れた。ガイドに聞くと、後、十分後に列車がきますのアナウンスらしい。しかし、市場の人達は素知らぬ顔で仕事の手を休めない。
 前の魚屋さんは、しゃがみこんで体長数十センチもあるナマズの鰭を切りとり臓を出し、輪切りにして、たらいのような器に投げ入れている。向かいの本屋の女性は隣の八百屋さと話し込んでいる。このまま列車が来たらどうなるのか、テントも商品も邪魔で通れない。そんな心配をするのは、我々観光客だけのようだ。
 確か、ベルか鐘のような音が聞こえたと思うが、列車が近づいたのだ。
その瞬間に商品を引込め、テントを畳んだ。その手際の良さは正しく驚愕であった。
 テレビで何度か見たことのある線路上の市場。一日に四往復の八回列車が通る度に、商品を後方に引込めて、テントを畳む。そこを窮屈そうに列車が通って行く。線路を有効活用した合理的なシステムのようにも思えたが良く見ると後方にある店舗は結構広い。わざわざ線路に、はみ出さなくても、商品展示の出来るスペースは十分にあるように見えるが、線路上は露天商と言われているので、店舗は別人の持ち物か。
 現地語で「傘を畳む市場」と言うらしいが、実に手間のかかることを事も無げにやっている。国有鉄道だから国が許しているのだろう。誠に大らかな国「タイ」である。
 線路は日本の在来線と同じ狭軌でレール間は一メートル程で、その狭いレール間が買い物客が行き交う道になっている。レールの両側まで商品が並べられているのだ。せめて車両の幅だけ空けておけば、人も楽に通れるし、出したり引込めたりする無駄なことはしなくて済むと思うのは私だけか。
 レール際まで置かれた商品は、その高さを心得ていて、商品の上を列車が通って行く。その度に折りたたまなければならないテントは強い日差しを遮る為に考えられた知恵なのか。今までに事故は全くないそうで、列車の運転手も市場に居る人達も習慣としてなすべきことが身についているのだろう。
 いずれにしても豊富な野菜、魚類が並ぶ逞しい市場である。
この列車が通る市場が発展著しいタイの近代化の中で、珍しい市場として注目されてきている。
 他に何か所か市場巡りをしたが、ほとんどすべての市場で雑踏の中に車が押し入って来る。これは先の列車通過より酷いと思ったが、事故がないのはお互いに譲るところは心得ているのだろう。この旧態依然の市場と対照的に久しぶりに訪れたバンコクで小さな驚きがあった。
 繁華街近くのホテルになんとトイレにウオッシュレットが設置されていた。日本では急速に普及して、今では設置されてない家はほとんどないのではないか。世界に誇るべき商品だが、外国で見るのは初めて。正確には二度目だが始めての体験は上海の高層ビルの最上階の展望フロア。そこは日本の不動産会社が経営しているビルだから当然と言えば当然で驚きはしなかったが、ついにバンコクまで進出していた。
 五年後の東京オリンピック。その選手村には必ず設置されるだろうから、それを機に日本の洗浄装置が世界に普及されていくだろう。
 
第204号 懐メロⅡ  平成27年1月1日発行
2015-01-13
「大変悲しい事ですが、大好きな歌、たそがれの御堂筋、の歌手、神戸一郎さんが逝去なさいました。享年七十五才でした」。
この遍路宿の一九七号に投稿した、差出人不明の怪しげな封書の主から、そんな書き出しの手紙が届いた。
この度は住所も氏名も書かれていた。神戸一郎さんとはどんなご関係かは分からないが、親しくお付き合いのあった方のようだ。            
「神戸一郎さんは、神戸商科大学一年生在学中の十九才で歌手デビュー、新幹線のない時代、夜行列車で巡業に行き帰り、大学の授業にも出て、四年で単位取得、更に米国に在住してカルフォルニア大学卒業、その仲間達と事業を立ち上げ現在に至っていた。平成七年に歌手活動は止められていた。
阪神淡路大震災時には水汲み等のボランティア、東北の時も東京からトラックに物資を積んで被災地の各地を訪問され、自ら被災者の方々に渡されたそうです。飾らない、気さくなとても優しい方でした」と。
文面から、神戸一郎さんは、甘い歌声そのままの人柄であったようだ。
「テニスやジム通いをされ、とてもお元気だったので突然の訃報に唖然としております」。
後日の新聞記事によると、前立腺癌であったようだ。自覚症状のないまま、気が付けば遅きに失したのだろうか。
「坂東様が、たそがれの御堂筋、のレコードを長い間お探しになっていらした事、そのCDを購入されて車の中でいつでも聴けるようになさっている事等を神戸さんに電話でお伝えしました。
そう、わー嬉しいな~感謝です、と、とてもお喜びでしたよ。遍路宿のコピーも郵送しご覧頂きました」。
高校時代に憧れの歌手であった人に半世紀が過ぎて、我が拙稿を読んで頂いたとは感激である。
別れたっていいじゃないか、泣くこたないじゃないか、あいつだって真剣に愛してくれたんだ・・・
これも神戸一郎が歌った「別れたっていいじゃないか」の曲だが、これが高校生に相応しい歌かどうかは別にして、クラスで一番の大声の主が教室一杯に響かせて歌っていたのが、ついこの間のように思われるが、すでに半世紀も過ぎている。
 近年はカラオケも全盛期は過ぎたようだがすっかり定着して、二次会のスナックに行くと必ずマイクが待っている。カラオケのないスナックが珍しいように、歌わない、歌えない人も又珍しい存在のようだ。
 設備の音響効果も良くなって、気持ちよく歌えるようになったのも、安定した普及に貢献しているのだろう。そのカラオケも最初はLPレコード、次に八トラックのカセットテープにビデオCD、果てはメモリーでマイクに曲がセットされている。進化する度にこれは最高、これで終りだろう、と買い揃えてきたが、それらは今は使うことなく思い出の品として書斎の片隅に眠っている。現在は音楽配信の通信カラオケ。大抵の曲はあるようだが、この「たそがれの御堂筋」はなぜか無い。        歌を聞くと大体その人の年代が分かる。我が年代は超懐メロ世代か。若者には知り得ない神戸一郎と言う,私とは同世代の歌手の死を悼みながら,懐かしい歌は懐かしい思い出とともに生涯の生きる糧になっていくのだろう。
 
第203号  ローレライ  平成26年10月1日発行
2015-01-13
 ♪なじかはしらねど、こころわびて、むかしのつたえはそぞろみにしむ♪
中学一年生の時に習った「ローレライ」の歌だ。♪わびしくくれゆくラインのながれ♪
その時からいつかそこに行こう、と強い憧れを持っていたのだが、気が付けば六十余年が過ぎていた。
 「中欧第一の大河、延々千三百キロメーターのライン河。この河の中流、ドイツの国に入ってまもなく、右岸にそそり立つ豪壮な、そして岩肌のごつごつした奇岩が見えます。河水はとうとうと流れて底知れぬ淵を作り、魔物の口のような無気味な渦巻さえ見えます。これが有名なローレライの岩です」。
 音楽の教科書の楽譜に添えられている「ローレライの伝説について」の記述である。
 やっと思い立って「ライン下りのあるツアー」に申し込みをして、ライン河下りをしてきた人達に聞いてみると、そそり立つ豪壮な奇岩、魔物の口のような渦巻と言う昔の面影はなくてがっかりしますよ、と夢のないことを言ってくれる。
 日本の最上川、両岸の山に抱かれてとうとうと流れる河下りを思い起こして、あの山の一部にごつごつとした岩山があればイメージは合うように思われるのだが。そんな思いでライン河のクルーズ船に乗る。
 両岸の山には至るところに古城があって歴史を忍ばせるが、岸辺の開発、賑わいは著しく、河に沿って両岸とも道路と鉄道が敷かれ、左岸には豪華列車が走り、右岸の貨物列車には延々とざっと数えて二百数十台の乗用車が一気に運ばれて行く。川面にもスクラップのような荷物を積んだ細長い船が行き来はしているが、物流の大半は川から岸に移ったようだ。この岸辺の賑わいが、ローレライの神秘さを奪ったのだろう。
いくつかの古城を撮り続けてやがて船内にローレライのメロディーが流れる。ときめきを覚えながら右岸側の甲板に上がる。
ごつごつした岩がある。その下に「LORELEY」の表示がある。ここだけは岩と河の間に建物、道路、鉄道は見えないのが救い。
魔物の口のような渦は感じない。これは船が大きいから少々の渦では船底で消えてしまう。
 中学生の時に抱いたイメージとは確かに違っていたが、それは数十年の時の流れでもあったのだろう。
 それにしても、人間の歴史は言うまでもなく戦いの歴史でもある。
 ライン河沿いの古城も戦の砦であったし、古都リュッベック、ローテンブルク、ネルトリンゲン、ハイデルベルク等、行く先々で要塞が残っている。
 なかでもベルリンの壁はまだ記憶に新しい要塞だ。東西を分けた不幸な歴史からドイツ人の高い知性で壁を取り除いた。今は観光用に二、三百メートル残してあるが、愚かな人間の姿がそこに映っているようでもあった。
そのベルリンの南西郊外にある街ポツダム、「ツェツィリエンホーフ宮殿」に日本の運命を決めたポツダム宣言を協議した部屋には、円型テーブルの中央に三国の国旗が飾られ、メンバーの椅子が当時のまま保存されていた。
一九四五年七月二十六日、アメリカ合衆国中華民国、イギリスの三国が日本に対して発した共同宣言。この時日本が即座に受諾していたなら、ソ連の介入はなかったかも知れない。原爆、シベリア抑留、僅か何日間の決断の遅れで、多くの尊い命を失った。
 

第191号  灰になるために生まれてきたんじゃない

第191号  灰になるために生まれてきたんじゃない
 
灰になるために生まれてきたんじゃない

出来たばかりのコンクリート舗装の路上に白い大きな犬の死体が横たわっていた。

開通間もない国道十一号。現在は県道三十三号になっているが、私が高校に通っている三年間に工事が進められて、出来上がった真新しい路面に無残な姿があった。最近では路上に死んでいる犬猫を見るのは珍しくもなくなったが、半世紀も前の光景が強烈に脳裏に残っている。今も通勤時に通る道である。

悲惨な交通事故死は人間も同様で悲しむべきことであるが、その犬猫の命が不慮の死ではなく、まるで売れ残ったコンビニの弁当のように処分されていると聞くと人間のおぞましさに恐怖感を覚える。

それは連日報道される幼児虐待、いじめ、陰惨な殺人事件等殺伐とした世相に現れているようにも思える。

知人が「小さな命の写真展」として、保険所等で殺処分される前の犬猫の表情を写した写真展を常盤街商店街、ホームセンター、駅構内、市役所等々で開催している。

この命、灰になるために生まれてきたんじゃない。全国で一日に約一千頭の犬猫が二酸化炭素に依って殺処分されている。香川県は人口当たりの殺処分数は全国ワースト五位だそうだ。その費用は全国で二十四億円と聞くこれ全て税金で賄われている。

人の癒しの為に、命の尊さを共有する筈のペットが心ない一部の人と思いたいが、無責任に捨てられ殺される。

写真展の会場で売られていた児童書のノンフィクション作家、今西乃子著「犬たちを送る日」の冒頭の部分を要約して紹介したい。

一九七八年、野犬の撲滅対策として、ある県での犬の買い上げ制度を設けたときのことである。

犬を保険所に持ち込んだ県民には一頭五百円の報酬を出す。

そこに小学生三人が七匹の子犬を持ち込んだ。

「すみません、これ買うてくれるんですか?」

「これ?どうしたいん?」

「犬、一匹ここに持ってくれば、五百円くれるって聞いたけん。七匹で三千五百円やけんね。お金くれん?」

当時の三千五百円といえば、かなりの高額である。

「そのお金、何につかうんや?」

「プラモデルじゃけん!欲しいプラモデルがあるで、それ買いたいんや!はようお金ください」

「君らが連れてきた子犬、ここに来てどうなるか知っとるか?」

「・・・?」

「あのな、ここに連れてこられた犬は、みんなあと数日で殺されてしまうんや。この子犬もそうじゃけん。みんな殺されてしまうんやで。それでもええんか?」

「かまわんけん!はようお金ください!はよう行かんと、プラモデルやさん、閉まってしまうけん」

 親が教えたのだ。

「そんなに小遣いがほしかったら、野良犬の子犬を見つけて保険所へ持って行け」と。 

 命を金に換え、そのお金で自分たちの欲しいものを手に入れようとする少年達、それを容認する大人達がたまらなく悲しく思えた。

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