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第201号  運命  平成26年4月1日発行
2014-04-11
 人生は、「心の持ち方で決まる」と固く信じているのだが、それだけでは測れない運命があるようだ。
 類は友を呼ぶ、の言葉通りに、高校の同級生の中で、十人ほど、ことある毎に集まる仲間がいる。皆、大人しく真面目である。
 新年会に花見、夏にはビアガーデンへと揃って楽しんでいるのだが、数年前から、その集いに参加出来なくなった者がいる。
 奥様が、くも膜下出血で倒れた。それまで毎日、年老いた両親の看病に通い続けていた過労が原因のようであったが、自宅で気分が悪くなって近くの病院に行って、診察を待っている間にベンチで倒れた。当然処置も早かっただろうし、最近の医学の進歩ですぐに回復されると、誰もが願い信じていた。ところが、日が経つにつれて容体は悪化していったようで、最初の頃は、幼児の絵本のような簡単な絵を見せると、「犬、猫、自転車、魚」と言葉で反応があった。
 以前に同業者の社長が同じ病気になられて、見舞いに行くと「あなたの顔は分かるのだが名前が出てきません」と言われ、同じような絵を見て訓練されていたが、どう見ても現役復帰は不可能と思われたが、二年後には回復されて傍目には何の後遺症もないほどに元気になられて、ゴルフまでされている。出血した場所が違うのか、治療の仕方が違うのか、運命の分かれ目は素人には分からない。
 倒れられてから食べ物は一切口にせず、管で胃に栄養源を流し込まれて命をつないでいた。
闘病生活五年二か月。自宅から車で三十分程の病院に入院されて、ご主人はほぼ毎日看病に通ったが、その甲斐もなく、帰らぬ人となられた。ご本人にも看病されたご主人にもなんと過酷な長い歳月であったことか。
 「六十八歳で発病、それからの五年の歳月は本人にとっても私にとっても、六十八年の何倍も長く苦しいものでした」と喪主であるご主人の言葉が重く響いた。        
 この同級生、奥様が病魔に侵される二年前に一粒種の息子さんを膵臓癌で亡くされていたのだ。IT関連の厳しい業務が災いしたのか。二人の娘を残して若干三十八才であった
 これをどう受け止めてどう対応すればいいのか、慰める言葉が出てこない。
 奥様の葬儀にも、その孫娘さんの姿はなかった。遠く東京に住まわれていることもあって、疎遠になっているのかも知れないが、実の祖母の葬儀である。他人の介入することではないが、一人になった同級生が尚更哀れに感じた。
 加えて奥様の闘病の五年の間に同級生自身も前立腺癌を患って摘出手術を受けたのだ。そんな過酷な試練は誰が、なんの為に与えたのか。簡単な健康管理と言う言葉で済まされるのか。病魔と言う不幸から逃れる術はなかったのか。救える心のありようはなかったのか。
親友と言えども、その心の奥までは理解し得ないが、少なくとも物事を悪く受け止める僻み根性の人間ではない。
元気を出せ、と言っても難しいかも知れないが、せめてお互いに残り少なくなった人生を悔いなく楽しめるように頑張ろう。 
 喪が明けて、春には同級生メンバーに復帰して、恒例の我が家での花見に元気な姿で来てくれることを願っている。
 
第200号 宴(縁) 平成26年1月1日発行
2014-02-13
 並んで写真を撮ると178cmの私よりも10cmほど高い。大阪で十年間お世話になった会社の三代目の社長さんだ。当時はまだ小学校入学前であった。年を尋ねると四十七歳になられていた。今年(平成二十五年)の春に社長であるお父様が体調不良で急遽三代目の社長に就任された。
毎年、秋に某メーカーの全国有力代理店の感謝会が一流ホテルで催される。一定の売上以上が条件だが弊社は辛うじて末席を汚さしてもらって参加しているが、その、年に一度の会でお会い出来るのを楽しみにしてきた。懇親会で末席から最上席のテーブルにお邪魔して記念写真を一緒に撮らせてもらっていた 昨年も変わりなくご一緒させて頂いたが、三代目の長身の息子様にお聞きをすると、その時すでに一年後には自分はここにいないことを認識されていたようだ。改めてその写真を取り出して見るが、風格のある姿の裏に命の終焉が迫っているようには思えない。
我々の業界には全国組織の組合連合会があって、その会長に就任されることを誰もが、認め確信していたが、ご本人が固辞された。なぜ? 皆が疑問に感じていたのだが、まさか病原菌にそこまで侵されているとは周りの人たちには想像不可能であった。
毎月発行される業界誌に「豆狸の寝言」と題して日常の些細な出来事を人情味豊かにユーモアを交えて一ページを飾っていた。その冊子が届くとまずそのページを開くのが楽しみであった。 確か先代の創業者社長様が「狸の寝言」して書かれていたのを引き継がれたものと記憶している。二代に渡って人生の機微を巧みに捉えられた文章を残されている。
 私がお世話になっていた頃は創業者の狸社長(失礼)様が最も意欲に溢れていた時代で、大阪商人の神髄を教えてもらったように思う。  
 香川に帰省して大阪の会社の得意先でもあった現在の会社にお世話になって、時の流れとともに予期せぬ経緯をたどって、気が付くと会社を預かる立場になっていた。
  零細企業ながら、何とか全国代理店の仲間入りがしたくて背伸びして背伸びして目標を達成してきたが、振り返るとこれは大阪時代に植え付けられた信条かも知れない。
 その背伸びが為の融資が原因で、長年の主力銀行であった担当の若造と喧嘩になって取引中止。良い勉強をさせて頂いた。
 現在では地元の大手銀行に支えられて、その支店長様と当時を振り返って「土佐の若者には大阪商人の三方(メーカー、代理店、銀行)良しの計算の仕方が理解できなかったのだろう」と笑い話にしている。 
 計算上損はしていないのだが、その商売と言うよりも、感謝会に参加したかったのが本音だろう。そこで昔の上司である大阪の社長に会える。地方で頑張っている姿を見せたかった。それが恩返しでもあると信じていた。
 代理店130社程にメーカーの社員も含めると200人を超える豪華なパーティには、必ず有名タレント、歌手が招かれる。非日常の楽しいひとときである。
 三代目の社長様には是非「孫狸の寝言」として受け継いで頂きたい。弊社も年に一度の再開を楽しみにもう少し頑張らねば、と思っている。
 
第199号   卓 球   平成25年10月1日発行
2013-10-09
            卓  球

                                                         坂東重明
 我が家の目の前に一棟の学校があった。青年学校と呼ばれていたが、戦時教育の一環として建てられたのだろう。
戦後、保育所、公民館と使用目的は変わっていったが、現在は取り壊されて公園になっている。
 小学生であったか、中学生になっていたか記憶は定かではないが、一時その校舎が空き家になっていた。そこに卓球台が置いてあって勝手に入っては、卓球に興じていた。近所の仲間だったのか、同級生であったのか、数人は集まって楽しんでいた。その頃は我ながら上手いと自負していた記憶がある。相手がどんなに強烈に打って来ても簡単にショートバウンドでカットして返していた。対外試合にも行った記憶があるが、成績のほどは記憶してないところをみると、あまり良くはなかったのだろう。
 二人の孫が小学生になって、座敷の座卓で卓球ごっこをするようになった。婆ちゃんが地元のクラブで十年余りも励んでいるのに影響されたか。
 そこで思いついて、物置と化していた車庫を整理して、二坪余り増築をして、正式な卓球台を置くと立派な卓球場になった。
 孫はすっかりこの卓球場が気にいって、殊に二年生になった男の孫は、学校から帰ると「婆ちゃん卓球しよう」と言うらしい。
宿題がおわったら、と言うと、今までよもよもと中々進まなかった宿題が一気に終わらせようとする。意外な効果があった。
 好きなだけに上達も早い。卓球台から辛うじて顔が出ているくらいの背丈で、ラケットを思い切り振っている。
「婆ちゃん、本気できてよ」 と挑戦してくる
爺婆馬鹿は、「末は男愛ちゃんか」と期待している。
 毎年恒例の我が家での社員の花見でも、この卓球台で盛り上がった。誰でも気軽に楽しめるスポーツのようだ。
 五月の我が誕生日に社員から思いがけないお祝いをもらった。卓球のスコアボードである。卓上のカレンダーを使って手書きのお粗末なボードを見て気がついたのだろう。そんな心配りが嬉しい。
 昔取った杵柄、ラケットを握ってみるが、飛んでくる球が見えない。これが動体視力と言うものか。プロ野球の王選手が引退するときに、まだまだやれるように傍目では思えたが、ご自身でこの動体視力の衰えのようなことを言われていた。なるほどあれほど日々鍛錬されていても年には逆らえないのか。
プロの世界はいざ知らず、ボケ防止に、運動不足解消に孫に負けずに、ラケットを振ってみるか。
 生まれは二十二か月違う姉弟だが、学年では年子の三年生の姉も弟に負けまいと頑張っている
その孫二人と爺婆チームで混合ダブルスの試合をやってみる。まだまだ婆ちゃんの練習が勝っているのか、年の功か、孫に負けることはないようだが、これも時間の問題だろう
 我が卓球の原点である青年学校。ここで学ばれたであろう人たちが、今は公園になった同じ場所で、戦時訓練の為に持った竹槍をスティックに持ち変えてゲートボールを楽しんでいる。激動の昭和を生きた人たちの和やかな姿に安堵し、永久の世界平和を念じている
                                        綾歌郡綾川町
 
 
 第198号  ウルル     平成25年7月1日発行
2013-07-11

ウ ル ル

 

 

                                                                坂東重明

 ここで体のバランスを崩して転落すると四十一人目の死者になる。その恐怖と体力の消耗で息遣いが極限まで荒くなる。

高が三百四十八メートルの岩だ。登山としては初級程度と書いてあるのを甘く見ていた。傾斜角四十七度は真上に上がって行く感じである。ここに来て高所恐怖症であることに気付かされる。飛行機とかタワーの上から見る景色は好きなのだが、それは安全が保証されている。しかし、ここには階段も無ければ、休憩するスペースも無い。滑って鎖から手を離すと命はないのだ。登山経験のある人にはなんでもない岩かも知れないが、気持ちとは裏腹に体力はいつの間にか衰えていた、命を落とす恐怖を初めて体験する。

 オーストラリアのエアーズロック。発見したヨーロッパ人探検家の名前から名付けられていたが、近年原住民のアボリジニー保留地であることが認められて正式にウルルの名称になった。アボリジニーの聖地である。外周九.四キロメートル。一周出来る散歩道もあるが、ウルルの北東部は聖地で一切撮影禁止になっている。

神聖な岩に登るのはアボリジーにとっては快くはないが訪れる観光客の為に理解を示してくれているのだそうだ。それでも今までに岩上で亡くなった人が熱射病を含めて四十人と聞かされる。それは聖地に足を踏み入れた罰かも知れない。

 しっかりと鎖に掴って下から見える頂上まではなんとか登ったのだが、その奥のなだらかな一キロメートル余りはいささか心残りであったが断念する。

 何年か前からの憧れのウルルであったが、訪れてみて期待通りの岩であった。

 オーストラリアの東海岸のツアーは旅行案内に必ずあるのだが、ウルルへはオプションで行く程度の案内しかない。不思議に思っていたが、訪れてみてその訳が分かる。そこに行っても必ず登れると言う保証はないのだ。

天候によって登山口の扉が閉められると当然入れない。今回のツアーはウルルが主目的で三回挑戦の機会を用意していたが、初回で登れたのは幸運であった。翌日に訪れたシドニーの日本人ガイドに、一週間滞在してウルルに登る機会を待ったが登れなかったと、羨ましいそうに言われた。

 羽田から香港経由でケアンズヘ、そこで二日間滞在して、世界最古の熱帯雨林のキュランダ村でご他聞に漏れずコアラを抱いて写真撮影。緑の宝石と言われるグリーン島を散策。

 ケアンズからウルル(コネラン空港)へ。離陸して三十分も経つと眼下は赤茶けた荒涼とした風景、大陸の広さを実感する。二時間余りで憧れのウルルが、高さが一メートル程の雑木林が広がる中にくっきりと見える。そのウルルとカタジュタ(三十六個の岩の固まり)を中心として世界遺産に指定された国立公園の広さはなんと香川県と同じ広さだそうだ。

 天候に恵まれて、夕日に、又朝日に照らされて刻々色を変えるウルルの姿を満喫する。   

 私にはあまり関心のない星空だが天の川のその美しさには魅了される。

 南半球のコリオリの力にも興味があって、浴槽の水を流して北半球とは逆に右回転する渦を確認する。ケアンズに、ウルルにそしてシドニーでも日本人が明るく逞しく活躍されていたのが頼もしくもあり羨ましくもあった。

                                       綾歌郡綾川町

 
第197号    懐メロ       平成25年4月1日発行
2013-06-05
 会社に私宛の封書が届いた。差し出し人の名前も住所も無い。その小さな怪しげな封筒を開けてみる。
突然の便りを侘びた後にホームページをみてどうしてもお知らせしたかった、と。
どうやら弊社のホームページを見てくれた人のようである。
ホームページには遍路宿の今までの拙稿を載せてあるのだが、第百六十八号「御堂筋」にある神戸一郎が歌った「たそがれの御堂筋」がCDに編集されて発売されています、それを是非お知らせしたかったと、購入方法を教えてくれている。
長年レコード店、古本屋等探してもレコードも楽譜も見当たらなかった。偶々、地元のラジオ番組「あの歌に会いたい」に出演した時に、私の希望を汲んで放送局の廃棄物同然の別倉庫からレコードを探し出してくれて四十数年ぶりに聞けたのだが、封書の差し出し人も、この曲が好きで同じ思いの人がいたのが嬉かったと。 「メトロへ降りる階段の手すりに浮かぶ白い指・・・」このフレーズも好きで感動しましたと記されている。
教えてくれたネット通販から購入する。CD六枚セットで一万五千円。欲しいのはその中の一曲だけ。思い出の値段にしては高いか安いか。お蔭で車のナビの画面の後ろにCDプレーヤーがついているのも知らなかったのだが、その使い方を習って、HDDに録音して好きな時に流れるようになった。
封書の人に大感謝だが、お礼の出しようがない。どうやら人違いで失礼があってはいけないと遠慮して氏名を知らせなかったようだが、やはり手紙を書く時には自らの氏名は明らかにすべきだろう。
懐メロと言えば、昨年暮れに岡本敦郎が亡くなった。十日も経った一月八日の朝刊に小さな記事で「高原列車は行く」と載っていたが、歌手協会の理事長まで務めた大歌手の扱いにしてはいかにもさみしい。戦後生まれの人々には馴染みがないのか。
歌手が亡くなるとどこのテレビ局、ラジオ局も特集番組が組まれるのだが、興味深くみていたのだが、そうした番組はどこにも見当たらなかった。
私には、その代表曲でもある「白い花の咲く頃」が最初に覚えた流行歌である。六十歳でピアノを習い始めたが、当然この曲から教えてもらった。バイエルとか基礎練習は全くしないで、いきなりこれを教えて下さいと頼んだのだが、先生も呆れただろうが、根気良く教えてくれた。振り返ってみると、やはり基礎から習うべきであったかも知れないが、それでは面白くなくて途中で止めていたかも知れない。才能の無さを実感しながらも、なんとか今日まで続いているのは、先生の教え方の賜物か。
弊社のホームページも最近は更新されずに恥ずかしい姿になっているが、詳しい社員に任せてあったのだが、仕事が忙しく?てそこまで手が回らないらしい。
新年会で「これから会社のホームページの更新は私が出来るようにする」と社員の前で宣言した。これまで何度か習ったのだが、その都度中途半端に終っていた。
努力と言う言葉が嫌いで、気多くして成果のなかった人生も老い先短くなって、やっと「少年老い易く学成り難し」を実感している。
 

第191号  灰になるために生まれてきたんじゃない

第191号  灰になるために生まれてきたんじゃない
 
灰になるために生まれてきたんじゃない

出来たばかりのコンクリート舗装の路上に白い大きな犬の死体が横たわっていた。

開通間もない国道十一号。現在は県道三十三号になっているが、私が高校に通っている三年間に工事が進められて、出来上がった真新しい路面に無残な姿があった。最近では路上に死んでいる犬猫を見るのは珍しくもなくなったが、半世紀も前の光景が強烈に脳裏に残っている。今も通勤時に通る道である。

悲惨な交通事故死は人間も同様で悲しむべきことであるが、その犬猫の命が不慮の死ではなく、まるで売れ残ったコンビニの弁当のように処分されていると聞くと人間のおぞましさに恐怖感を覚える。

それは連日報道される幼児虐待、いじめ、陰惨な殺人事件等殺伐とした世相に現れているようにも思える。

知人が「小さな命の写真展」として、保険所等で殺処分される前の犬猫の表情を写した写真展を常盤街商店街、ホームセンター、駅構内、市役所等々で開催している。

この命、灰になるために生まれてきたんじゃない。全国で一日に約一千頭の犬猫が二酸化炭素に依って殺処分されている。香川県は人口当たりの殺処分数は全国ワースト五位だそうだ。その費用は全国で二十四億円と聞くこれ全て税金で賄われている。

人の癒しの為に、命の尊さを共有する筈のペットが心ない一部の人と思いたいが、無責任に捨てられ殺される。

写真展の会場で売られていた児童書のノンフィクション作家、今西乃子著「犬たちを送る日」の冒頭の部分を要約して紹介したい。

一九七八年、野犬の撲滅対策として、ある県での犬の買い上げ制度を設けたときのことである。

犬を保険所に持ち込んだ県民には一頭五百円の報酬を出す。

そこに小学生三人が七匹の子犬を持ち込んだ。

「すみません、これ買うてくれるんですか?」

「これ?どうしたいん?」

「犬、一匹ここに持ってくれば、五百円くれるって聞いたけん。七匹で三千五百円やけんね。お金くれん?」

当時の三千五百円といえば、かなりの高額である。

「そのお金、何につかうんや?」

「プラモデルじゃけん!欲しいプラモデルがあるで、それ買いたいんや!はようお金ください」

「君らが連れてきた子犬、ここに来てどうなるか知っとるか?」

「・・・?」

「あのな、ここに連れてこられた犬は、みんなあと数日で殺されてしまうんや。この子犬もそうじゃけん。みんな殺されてしまうんやで。それでもええんか?」

「かまわんけん!はようお金ください!はよう行かんと、プラモデルやさん、閉まってしまうけん」

 親が教えたのだ。

「そんなに小遣いがほしかったら、野良犬の子犬を見つけて保険所へ持って行け」と。 

 命を金に換え、そのお金で自分たちの欲しいものを手に入れようとする少年達、それを容認する大人達がたまらなく悲しく思えた。

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